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今治城(工事中) |
愛媛県今治市通町3丁目1−3 |
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米沢城(工事中) |
山形県米沢市丸の内 |
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名古屋城(工事中) |
愛知県名古屋市中区本丸 |
徳川家康が九男義直のために天下普請で建てたお城。江戸時代は御三家のひとつ尾張徳川家の居城として栄えました。別名も多く、金鯱城、金城、柳城、亀屋城、蓬左城などさまざま。「日本の名城」といえば必ず挙げられるほどのお城です。 |
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会津若松城(工事中) |
福島県会津若松市追手町 |
江戸時代をとおして会津若松城は隆盛を誇っていましたが、戊辰戦争における会津での戦いで約1か月の籠城戦で傷つき、破却されました。天守閣はその後、昭和40年(1965)に外観を復元されて再建されました。 |
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二条城 |
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541 |
永禄12年(1569)に旧二条城の築城が開始されたという記録がありますが、本格的に城郭が整えられたのは慶長8年(1603)のことです。築城したのは徳川家康で、京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として築かれました。 |
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小倉城 |
福岡県北九州市小倉北区城内2-1 |
福岡県北九州市にあるお城です。細川忠興が築城しました。細川氏が肥後の熊本城に転封になると、代わりに譜代大名の小笠原氏が入城し、明治維新を迎えました。昭和34年(1959)に復興された大小の天守があります。
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赤穂城 |
兵庫県赤穂市上仮屋 |
忠臣蔵で有名なお城。兵学者、山鹿素行の意見をとりいれてつくられた縄張りは変形輪郭式とよばれている特殊な形をしています。大石内蔵助旧宅の長屋門のほか、義士たちをまつる大石神社があるなど、忠臣蔵ゆかりの施設が多くあります。 |
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福岡城 |
福岡県福岡市中央区城内 |
秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛(如水)の嫡子、黒田長政が築城しました。梯郭式の平山城です。創建当時は大小47もの櫓を擁する巨大城郭だったということです。別名を舞鶴城といいます。 |
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高知城 |
高知県高知市丸ノ内1丁目 |
追手門と天守を同時に見ることができるのはここだけといわれています。山内一豊が築城したお城です。天守閣は江戸時代から現存しており、国の重要文化財に指定されています。 |
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宇和島城 |
愛媛県宇和島市丸之内1丁目 |
築城の名人と言われた藤堂高虎が本格的に城郭を整えました。縄張りは複雑で、高虎の築城技術の真骨頂が見られます。現在でも、険しい道を登って行かなければ天守にはたどりつけません。別名を鶴島城といいます。 |
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玖島城 |
長崎県大村市玖島1丁目 |
慶長4年(1599)に初代大村藩主、大村喜前が築城しました。現在は埋め立てられていますが、築城当時は、三方を海で囲まれていました。慶長19年(1614)の改修時には、築城の名人、加藤清正の助言を得たといわれています。 |
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掛川城 |
静岡県掛川市掛川 |
その美しさから東海の名城とうたわれています。御殿などが現存しており、天守閣も当時の絵図などをもとに復元されました。戦国大名今川氏の重臣、朝比奈泰熙が築城したのが始まりです。家康が関東に転封されると、山内一豊が入城しました。 |
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郡上八幡城 |
岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659 |
遠藤盛数築城の山城で、別名を積翠城といいます。四層五階建ての天守閣は、昭和8年(1933)の再建で、再建された木造天守閣としては、日本最古です。 |
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熊本城 |
熊本県熊本市本丸 |
加藤清正築城のお城、日本三名城のひとつで49もの櫓がありました。その中には、宇土櫓や飯田丸五階櫓など他の城では天守閣級の大きさのものもあります。 |
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伊賀上野城 |
三重県伊賀市上野丸之内 |
藤堂高虎が築城。日本有数の高石垣が有名です。伊賀上野市は日本三大仇討のひとつ、荒木又右衛門の三十六人斬りの舞台であり、松尾芭蕉の生誕地。また、伊賀忍者の里でもあります。
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松山城 |
愛媛県松山市丸之内 |
賤ヶ岳七本槍のひとり、加藤嘉明が築城。松山市のシンボルです。姫路城、和歌山城と並ぶ日本三大平山城のひとつです。江戸時代から現存している天守閣のうち最も新しい建築です。 |
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富山城 |
富山県富山市本丸 |
戦国時代は上杉謙信や織田信長らの攻防の拠点となりました。その後、佐々成政が入城。神通川に浮いているような城郭だったため、浮城という別名が付けられていました。 |
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島原城 |
長崎県島原市城内1-1-1 |
小藩でありながらこれほどの巨大な城郭建築は、庶民のひんしゅくを買って島原の乱をひきおこす遠因となりました。5層の天守閣は破風が一切なく、「唐造り」とよばれています。 |
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駿府城 |
静岡県静岡市駿府公園 |
天正18年(1585)から5年間、徳川家康の居城でしたが、その後は江戸城にうつりました。家康が幕府を開いた後、将軍職を秀忠に譲ると再び隠居先として入城しました。現在は駿府公園となっています。 |
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大阪城 |
大阪府大阪市中央区大阪城1番1号 |
天正8年(1580)に石山本願寺は滅ぼされ、その跡地に信長の後を継いで天下統一を成し遂げた豊臣(羽柴)秀吉によって建てられました。この天守閣は大坂夏の陣の戦火によって焼失しましたが、現在のものは秀吉時代の天守閣を想定して再建されました。 |
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岡山城 |
岡山県岡山市丸の内2-3-1 |
安土城を模して造られたという天守閣は壮観。後楽園も近くにあります。豊臣秀吉子飼いの武将、宇喜多秀家が築城しました。関ヶ原の戦いの敗戦で秀家が八丈島へ流された後は、小早川秀秋が入城。秀秋の死後は池田氏15代の居城でした。 |
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彦根城 |
滋賀県彦根市金亀町1-1 |
全国で4つしかない国宝天守閣です。徳川家譜代の筆頭格ともいえる、井伊氏の居城です。関ヶ原の戦いの後、井伊氏は石田三成の居城であった佐和山城を得ましたが、近くのここ彦根に新たな城を築くことになりました。 |
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中津城 |
大分県中津市二ノ丁1273番地 |
黒田如水の築城で、細川忠興や名門の奥平家などが歴代城主をつとめました。豊臣秀吉の軍師、黒田如水によって築城されました。また、この城は日本三水城のひとつです。他に、高松城(香川県高松市)、今治城(愛媛県今治市)。 |
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杵築城 |
大分県杵築市 |
半島を利用してつくられた海に突き出た平山城で天然の要害でした。瀬戸内海に突き出た半島を利用した平山城。自然の地形を上手に利用しています。鎌倉時代に木付氏が築城以来、城下町として栄え、現在でもその面影がみられる街並みをしています。 |
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安土城 |
滋賀県蒲生郡安土町下豊浦 |
織田信長の居城。壮大な天守閣がそびえていましたが、僅か3年で焼失。安土山は特別史跡として発掘が進んでいます。織田信長が天下統一の拠点として築いた城の跡です。この城は完成後わずか3年で焼失し、その後は再建されずに現在に至っています。 |
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金沢城 |
石川県金沢市 |
加賀百万石前田家の居城。なまこ壁の城壁と鉛を使用した白い屋根瓦。多様な石垣の積み方が見られ石垣の博物館とも。かつて一向一揆の拠点ともなった金沢御堂の跡地に、先ず佐久間盛政が入城し、尾山城を築きました。 |
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長浜城 |
滋賀県長浜市公園町10-10 |
豊臣秀吉の出世城、琵琶湖のほとりにあります。北近江の交通の要所で、北陸への押さえでした。この地域を支配していた戦国大名の浅井氏は姉川の戦いで織田信長に敗れ、代わりに秀吉が支配することとなり、長浜に城を築きました。 |
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岩国城 |
山口県岩国市横山2丁目6-51 |
吉川広家の築城、山城です。山の麓には錦川が流れ、有名な錦帯橋が架かっています。慶長13年築城ですが、わずか数年後に一国一城令によって破壊されてしまいました。 |
04 |
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唐津城 |
佐賀県唐津市東城内8−1 |
中国(唐)への最短の港(津)。秀吉の朝鮮出兵の際、前線基地になった肥前名護屋城から近く、築城の際はその廃材を利用。海に面した美しい城。東西の浜を両翼に見立てて、遠くから見ると鶴が羽を広げたさまに見えるとか。 |
03 |
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広島城 |
広島市中区基町21番1号 |
築城者毛利輝元によって、現在の広島市の礎がきずかれました。この付近は築城前は己斐浦(こいのうら)と呼ばれていました。音が同じ「鯉」という文字を使った別名「鯉城」と呼ばれるのはそのためです。 |
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原城 |
長崎県南高来郡南有馬町浦田名 |
原城は島原の乱の舞台になりました。3万7千(2万7千)の一揆軍は幕府に派遣された鎮圧軍に数人の投降者を除いて、全員が殺害されました。 |
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姫路城 |
兵庫県姫路市本町68 |
天守閣は三つの小天守を従えた連立式とよばれるものです。そして、それらを結ぶ渡櫓を含めた部分が国宝に指定されています。世界文化遺産の第1号として、法隆寺地域の仏教建造物とともにこの姫路城が指定されました。 |