歴史年表 |
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西 暦 |
元 号 |
出来事 |
1496 |
明応5年 |
蓮如上人(一向宗)が現在の大阪城内にあたるところに坊舎を建立。後の石山本願寺。 |
1580 |
天正8年 |
石山本願寺が織田信長に滅ぼされる。 |
1583 |
天正11年 |
豊臣秀吉が大阪城の築城を開始。 |
1614 |
慶長19年 |
大坂冬の陣。 |
1615 |
慶長20年
元和元年 |
大坂夏の陣。大坂城焼失。松平忠明が大坂城主となる。 |
1629 |
寛永6年 |
天守閣が再建される。まもなく落雷のために焼失。 |
1931 |
昭和6年 |
天守閣(現在の建物)が再建される。 |
1995 |
平成7年 |
平成の大改修が終わる。 |
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天守閣 |
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三代目天守閣 |
鉄筋コンクリート5層8階 |
昭和6年(1931)完成 |
登録有形文化財 |
慶長20年(1615)、大阪夏の陣で秀吉が築城した天守閣は焼失しました。その後、寛永6年(1629)に一度は再建されましたが、これもまもなく落雷のため焼失してしまいました。その後は長く天守閣は存在しませんでしたが、昭和6年(1931)に大阪市民の寄付金によって鉄筋コンクリート造りで再建され現在に至っています。外観は「大坂夏の陣図屏風」(重文)の絵をモデルにしています。総高は55メートル。平成9年の大改修によって外壁の塗り替え等の修復のほか、エレベーターの延長、耐震工事などを行いました。 |
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京橋口付近から |
玉造口付近から |
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豊臣秀頼・淀君ら自刃の地 |
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豊臣秀頼・淀君ら自刃の地 |
慶長20年(1615)の大坂夏の陣で徳川方に攻められ、城中で自害した淀君と、その子豊臣秀頼の自刃の地です。ちなみにこの「秀頼の首塚」が京都嵯峨野の清涼寺というお寺にあります。
石碑が建っていますが、訪れる人は少なく、見過ごしそうな場所にあります。淀君は、父は浅井長政、母は織田信長の妹、お市の方です。長政とお市との間には他に2人の娘があり「浅井三姉妹」と呼ばれていました。長女が茶々(淀君)で後に豊臣秀吉の側室となります。次女の初は京極高次に嫁ぎました。三女はお江といって、2代将軍徳川秀忠に嫁ぎました。3代将軍家光の生母でもあります。
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城内案内 |
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