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お城シリーズ

大阪城
所 在 地 大阪府大阪市中央区大阪城1番1号
城の種別 輪郭式平城
別  名 大坂城 ・ 金城 ・ 錦城
築 城 者 豊臣秀吉
歴代城主 豊臣氏→松平氏
築 城 年 天正11年(1583)
交  通 JR大阪環状線 森ノ宮駅・大阪城公園駅
そ の 他 日本100名城(54番)
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天正8年(1580)に石山本願寺は織田信長によって滅ぼされた。大阪城はその跡地に、信長の後を継いで天下統一を成し遂げた豊臣(羽柴)秀吉によって建てられました。この天守閣は大坂夏の陣の戦火によって焼失しましたが、現在のものは秀吉時代の天守閣を想定して再建されました。

歴史年表
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すべての画像大阪城
シリーズお城大阪城
人物豊臣秀吉
テーマ100名城大阪城

西 暦 元 号 出来事
1496 明応5年 蓮如上人(一向宗)が現在の大阪城内にあたるところに坊舎を建立。後の石山本願寺。
1580 天正8年 石山本願寺が織田信長に滅ぼされる。
1583 天正11年 豊臣秀吉が大阪城の築城を開始。
1614 慶長19年 大坂冬の陣。
1615 慶長20年
元和元年
大坂夏の陣。大坂城焼失。松平忠明が大坂城主となる。
1629 寛永6年 天守閣が再建される。まもなく落雷のために焼失。
1931 昭和6年 天守閣(現在の建物)が再建される。
1995 平成7年 平成の大改修が終わる。
天守閣

三代目天守閣
鉄筋コンクリート5層8階
昭和6年(1931)完成
登録有形文化財
慶長20年(1615)、大阪夏の陣で秀吉が築城した天守閣は焼失しました。その後、寛永6年(1629)に一度は再建されましたが、これもまもなく落雷のため焼失してしまいました。その後は長く天守閣は存在しませんでしたが、昭和6年(1931)に大阪市民の寄付金によって鉄筋コンクリート造りで再建され現在に至っています。外観は「大坂夏の陣図屏風」(重文)の絵をモデルにしています。総高は55メートル。平成9年の大改修によって外壁の塗り替え等の修復のほか、エレベーターの延長、耐震工事などを行いました。


京橋口付近から

玉造口付近から

難波宮跡から

大阪歴史博物館から

本丸から
豊臣秀頼・淀君ら自刃の地
豊臣秀頼・淀君ら自刃の地

 慶長20年(1615)の大坂夏の陣で徳川方に攻められ、城中で自害した淀君と、その子豊臣秀頼の自刃の地です。ちなみにこの「秀頼の首塚」が京都嵯峨野の清涼寺というお寺にあります。

 石碑が建っていますが、訪れる人は少なく、見過ごしそうな場所にあります。淀君は、父は浅井長政、母は織田信長の妹、お市の方です。長政とお市との間には他に2人の娘があり「浅井三姉妹」と呼ばれていました。長女が茶々(淀君)で後に豊臣秀吉の側室となります。次女の初は京極高次に嫁ぎました。三女はお江といって、2代将軍徳川秀忠に嫁ぎました。3代将軍家光の生母でもあります。

城内案内
0312岡山城 0314駿府城
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