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松山城基本情報 |
所 在 地 |
愛媛県松山市丸之内1 |
城の種別 |
平山城 |
別 名 |
伊予松山城・勝山城・金亀城・臥牛城 |
築 城 者 |
加藤嘉明 |
歴代城主 |
加藤氏 → 蒲生氏 → 松平氏 |
築 城 年 |
天文元年(1532) |
交 通 |
JR松山駅または伊予鉄道松山市駅から路面電車。
大街道電停または県庁前電停からロープウェイ乗り場へ。 |
そ の 他 |
日本100名城(81番)
現存12天守
国指定重要文化財
日本さくら名所100選
美しい日本の歴史的風土100選 |
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前 | 後 |
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歴史年表 |
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西 暦 |
元 号 |
出来事 |
1603年 |
慶長8年 |
加藤嘉明が入り、松山城の築城を開始する。
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1627年 |
寛永4年 |
松山城竣工。同年、加藤嘉明は会津40万石に転封され、代わりに蒲生氏郷の孫、蒲生忠知が24万石で入封。
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1634年 |
寛永11年 |
8月、蒲生忠知が参勤交代の途中に京都で病没。
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1635年 |
寛永12年 |
伊勢桑名から松平定行が入城。 |
1642年 |
寛永19年 |
天守が三層に改築される。 |
1784年 |
天明4年 |
元旦。天守が落雷によって焼失する。 |
1820年 |
文政3年 |
天守閣の再建が始まる。 |
1854年 |
安政元年 |
天守閣が完成。この時の天守が現存しています。 |
1870年 |
明治3年 |
三之丸全焼。 |
1872年 |
明治5年 |
ニ之丸焼失。 |
1933年 |
昭和8年 |
小天守閣などが放火によって焼失。(昭和43年に再建) |
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天守閣 |
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天守閣基本情報 |
■種別 |
現存天守
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■構造 |
連立式層塔型/木造三層三階
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■建築年代 |
嘉永5年(1852)着工/安政元年(1854)完成
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■建築者 |
松平勝善(まつだいらかつよし・伊予松山藩12代藩主)
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■その他 |
国指定重要文化財
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■コメント |
創建は寛永4年(1627)です。実に築城開始から24年の歳月がかかりました。当時は、五層の天守閣だったといわれています。寛永19年(1642)には三層に改築されましたが、天明4年(1784)の正月に落雷によって焼失してしまいました。その後、文政3年(1820)から再建が始まり、その35年後の安政元年に復興したのが、現在の天守閣です。 |
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城内案内 |
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(C)社会科ちゃん |