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094-6
東大寺
八角灯籠 |
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094-7
東大寺
金堂 |
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095-1
東大寺
奈良の大仏 |
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095-2
東大寺
金堂 |
奈良県奈良市 |
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奈良県奈良市 |
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奈良県奈良市 |
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奈良県奈良市 |
金堂(大仏殿)の前にあるこの八角灯籠は幾度の戦火にも耐え、創建当時から変わらないものです。四面には音声菩薩(おんじょうぼさつ)が、他の四面には獅子が浮き彫りにされています。国宝。
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金堂とはそのお寺の本尊が安置されている場所です。従ってここには「奈良の大仏」がありますので大仏殿とよばれています。大仏造立の詔を発した8世紀の聖武天皇の時代から数えて三代目の大仏殿です。最初の建物は治承4年(1180)に、次に再建された建物は永禄10年(1567)にそれぞれ兵火によって焼失しました。現在の建物は江戸時代の宝永6年(1709)に公慶上人によって再建されました。世界最大の木造建築物として名高いですが、それでも創建時の初代からすると三分の二の大きさに縮小されているとの事です。明治39年(1906)から6年かけて、更に昭和47年(1972)から8年かけてそれぞれ大修理が行なわれました。
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正式には、毘盧遮那仏といいます。華厳宗の本尊です。天平15年(743)に聖武天皇の詔によってつくられました。延べ260万人が動員され、9年後の天平勝宝4年(752)に完成しました。国宝。
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大仏殿内の西北隅に安置されています。手に持っているのは筆と経巻です。江戸時代につくられた木造の仏像です。広目天とは四天王のひとりです。四天王とは持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)を指します。広目天は西方を守る神とされています。
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095-3
東大寺
多聞天 |
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095-4
東大寺
二月堂 |
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095-5
東大寺
三月堂 |
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095-6
東大寺
閼伽井屋 |
奈良県奈良市 |
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奈良県奈良市 |
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奈良県奈良市 |
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奈良県奈良市 |
広目天と同じく、江戸時代につくられた木造の仏像です。多聞天は北方を守護する四天王です。左手に矛、右手に仏塔を持っています。
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毎年旧暦の2月に修二会が行われることからこの名がつきました。もともとの建物は寛文7年(1667)の修二会中に堂内から出火し、焼失しましたが、その2年後に再建されました。重要文化財。
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天平年間(8世紀)の創建と伝えられている東大寺でも最古の建物です。毎年3月に法華会が行われることから三月堂とか法華堂と呼ばれるようになりましたが、本尊が不空羂索観音観音像であることからもともとは羂索堂とよばれていました。他にも日光・月光菩薩像など天平文化を代表する仏像が安置されています。後方の正堂部分に対し、前方の礼堂部分は正治元年(1199)に重源上人によって増築されており、建築年代が違うため、微妙に外観の色がちがいます。国宝。
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二月堂で行われる修二会は別名を「お水取り」といいますが、本行のときにこの中にある井戸から本尊の観世音菩薩にお供えする水を汲むことからそのように言われています。その水は、閼伽(あか)といわれるので閼伽井というわけです。
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095-7
東大寺
鐘楼 |
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096-1
子規堂 |
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096-2
子規堂
子規堂の外観 |
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096-3
子規堂
子規の勉強部屋 |
奈良県奈良市 |
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愛媛県松山市 |
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愛媛県松山市 |
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愛媛県松山市 |
栄西が鎌倉時代(13世紀)に再建したものです。東大寺創建当時から残り、奈良太郎の愛称で親しまれている梵鐘とともに国宝に指定されています。尚、この梵鐘は日本三名鐘に数えられています。
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正宗寺の中にあります。正岡子規が17歳で上京するまでの間住んでいた旧宅の建材を利用し、それを模して建設されました。現在の子規堂は3度の再建を経ています。昭和23年(1948)に県指定史跡になりました。
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木造平屋建ての簡素な建物です。最初の建物は大正15年(1925)に建てられましたが、昭和8年(1933)に寺の火災による類焼によって焼失しました。また、再建された建物も昭和20年の空襲で焼失しました。現在の建物は戦後に再建された三代目の建物です。
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子規堂内の写真です。愛用の座布団などが残されています。説明書きによると、「正岡子規が松山中学に入ってから増築してもらった勉強部屋で広さは3畳。天井もない粗末なもの。」とあります。
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096-4
子規堂
子規と野球の碑 |
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096-5
子規堂
坊ちゃん列車 |
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096-6
子規堂
坊ちゃん列車の客車 |
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097-1
松山城
ロープウェイ乗り場 |
愛媛県松山市 |
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愛媛県松山市 |
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愛媛県松山市 |
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愛媛県松山市 |
碑によると、正岡子規は明治20年代に初めて野球を松山に紹介したばかりでなく、ベースボールを野球と名づけたとのことです。今も広く世に使われている「野球」という言葉は、正岡子規が名づけたのであって、現在の球界の先駆者としてその発展に尽くした功績は非常に大きいといえます。
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子規堂の向かいに伊予鉄道開業当時の客車が保存されています。当時は松山〜三津の区間で営業していました。手前にあるのは夏目漱石の像です。夏目漱石は小説『坊ちゃん』の中でこの客車を次のように描いています。「停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱の様な汽車だ。ごろごろと5分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」
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夏目漱石の小説『坊ちゃん』で、「マッチ箱の様な汽車」と描かれた客車内です。確かに狭いです。ただ、港のあった三津からは20分くらいかかります。『坊ちゃん』では「5分ばかり」と描かれてありますので、小説の誇張ということが分かります。他にも、『坊ちゃん』は松山のことを散々に描いていますが、当の松山市民は坊ちゃんのことが大好きのようです。(松山に行ってみればすぐに分かります)
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この周辺は長者ヶ平(ちょうじゃがなる)とよばれています。麓からはロープウェイまたはリフトで登ることができますが、そこを降りた場所にあります。ここから天守閣までは約15分。多くの重要文化財の建造物を見ながらの登城になります。
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097-2
松山城
大手門跡 |
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097-3
松山城
戸無門 |
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097-4
松山城
筒井門 |
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097-5
松山城
隠門 |
愛媛県松山市 |
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愛媛県松山市 |
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愛媛県松山市 |
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愛媛県松山市 |
松山城創建時につくられたとのことですが、現在は残念ながら建物は残っていません。山麓にある二の丸・三の丸から本丸へと続く位置にあります。
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本丸入口にあり、防備の面からも重要な門といえます。文字通り戸がないので戸無門とよばれています。重要文化財。
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築城の際、正木城から移築されたいわれています。昭和46年(1971)に再建されました。戸無門・筒井門・隠門と続く所は松山城本丸入口にあり、防衛上重要な門でした。
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筒井門の隣にあり、筒井門に迫る敵を側面から攻撃し、不意をつくためにつくられました。外部下見板張りや窓が格子状になっていることから、城郭建築の歴史としても古い部類に入るといわれています。重要文化財。
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