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彦根城 |
いろは松 |
埋木舎 |
二の丸佐和口多聞櫓 |
彦根城は日本に4つしかない国宝天守閣を持つお城のひとつです。残りの3つは、姫路城(兵庫県)・松本城(長野県)・犬山城(愛知県)です。それらのうちでも、大きさこそ大したものではないにしても外観の美しさは随一と言ってよいと思います。
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二の丸に続く道端には、いろは松という松が植えられています。高知の土佐松とよばれているもので、地上に根が張り出さないため、通行の邪魔になりません。
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幕末の大老、井伊直弼が青年時代(17歳〜32歳)を過ごした建物です。彦根藩主井伊直中の14男として生まれた直弼は、藩の掟で僅か300俵の捨扶持で一生を過ごすことになっていました。直弼の後半生は、激動の一言ですが、直弼自身はここで過ごした青年時代、自分の生涯は花咲くこともあるまいと考え、自分の人生を埋もれ木に例えて、この住まいを埋木舎(うもれぎのや)とよんでいました。
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重要文化財。元和8年(1622)の完成といわれています。明和4年(1767)の火災で消失しましたが、すぐに再建されました。石垣は築城当時のものだそうです。
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馬屋 |
表御殿 |
廊下橋 |
天秤櫓
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重要文化財。元和8年(1622)の完成といわれています。明和4年(1767)の火災で消失しましたが、すぐに再建されました。石垣は築城当時のものだそうです。
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現在は、彦根城博物館として使われています。ここは、彦根藩主の藩庁があったところです。また、藩主が日常生活を送ったところでもあります。
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本丸へと行くためには、この橋を渡っていかなければなりません。戦などいざという時には、この橋そのものを落として本丸への通行を遮断することができたわけです。
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橋の渡った先には、形が天秤のようになっているこの天秤櫓があります。あの豊臣秀吉が築城した長浜城の大手門を移築したものといわれています。
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鐘の丸
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時報鐘 |
聴鐘庵 |
太鼓門櫓 |
築城当時は、ここに時間を告げる鐘(時報鐘)が置いてあったことからこのような名がつけられました。かつてはここに、大広間御殿と御守殿という二つの建物がありました。鐘の音が城下の北隅に届かないという理由から、時報鐘は現在の位置に移されました。
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築城当初、鐘の丸に設置してあった時報鐘は、城下の北隅では音がきこえないといった理由から、太鼓門櫓(本丸入口にある)の外である現在の位置に設置されるようになりました。鐘の音は「日本の音風景百選」にも選ばれています。現存する鐘は、弘化元年(1844)に、ときの藩主、井伊直亮の時代に鋳造されたもので、現在でも一日五回、鳴らされています。
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時報鐘の隣にある管理棟を改造した聴鐘庵では、自らも「宗観」と号して茶道の修行をおこなった井伊直弼の精神をしのんで、茶の接待が行われています。
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この門をくぐるといよいよ本丸です。この門は、彦根寺の楼門からの移築といわれていました。この門の両柱には釘跡が多数ありますが、これは当時巡礼に来た人々が札を打ちつけた釘穴だというのです。しかし、昭和に入ってからの解体修理によってその説が覆される見方が強まってきました。重要文化財。
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天守閣1
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天守閣2 |
西の丸三重櫓 |
黒門
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石垣は、彦根城独特のもので頑丈な積み方であり「ごぼう積み」と呼ばれています。天守閣は国宝に指定されています。規模は小さいながら、様々な破風を組み合わせたり、特徴的な花燈窓を持っているなど美しい姿をしています。
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天守閣は、京極高次(大阪の陣で有名な淀君の妹婿、浅井3姉妹の次女)が築いた大津城の移築といわれています。慶長11年(1606)完成です。
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細長い西の丸の隅に三重の櫓があります。ほとんどの観光客が見落とすといわれていますが、この櫓は浅井長政(織田信長の妹(お市の方)婿。長政・市の子供たちは、茶々(後の淀君)・初(京極高次室)・江(徳川秀忠室・家光母)のいわゆる浅井3姉妹です)の居城であった小谷城の天守閣を移築したものといわれています。現在の櫓は万治年間(1658〜61)につくられたものです。重要文化財。
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西の丸から下ってくるとこの黒門に出ます。この前に井伊直弼が生まれたといわれている建物があります。また、その周辺は玄宮園という池泉回遊式の庭園があります。
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玄宮園 |
昭和26年、国指定名勝に指定されています。大池泉回遊式の城郭庭園で、第4代彦根藩主、井伊直興によって、延宝5年(1677)につくられました。近江八景や竹生島、沖の白石になぞらえて築庭されたものです。中国、唐の時代(618〜907)の玄宗皇帝の離宮からその名が付けられました。背景には、彦根城の天守閣が美しく見えます。 |
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楽々園 |
鳳翔台 |
藩主の下屋敷として使用されていたところです。幕末の大老井伊直弼の生誕地(1815年10月29日誕生)として知られている御殿です。第4代藩主、井伊直興が延宝7年(1679)に完成させたものです。建築材に槻(ケヤキ)が使用されていたことから当初は「槻御殿」と名づけられました。その後、第12代藩主の井伊直亮がこの建物に「楽々の間」を造ったことから、楽々園と呼ばれることが一般的となりましたが、他にも彦根城の黒門の近くにあるので、黒門前屋敷などと呼ばれていました。
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この建物は、庭を眺めながら藩主が客をもてなすところでした。鳳凰が大空に向かって舞い上がる場所という意味で、この名がつけられました。
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