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お城シリーズ

広島城
所 在 地 広島県広島市中区基町21-1
城の種別 輪郭式平城
別  名 鯉城 在間城
築 城 者 毛利輝元
歴代城主 毛利氏 → 福島氏 → 浅野氏
築 城 年 天正19年(1591)
交  通 JR広島駅下車
コメント
この付近は築城前は己斐浦(こいのうら)と呼ばれていました。音が同じ「鯉」という文字を使った別名「鯉城」と呼ばれるのはそのためです。
歴史年表
西 暦 元 号 出来事
1589 天正17年 毛利輝元が築城を開始。
1600 慶長5年 安芸・備後二ヶ国の領主として毛利氏に代わり、福島正則入城。
1619 元和5年 城の修築許可の不備をとがめられた正則に代わって、浅野長晟(あさの・ながあきら)入城。以後、浅野氏12代、約250年間つづく。
1931 昭和6年 国宝に指定される。
1945 昭和20年 原爆により惜しくも倒壊。
1951 昭和26年 広島国体の開催に合わせて、木造の仮設天守閣を建設(国体終了後に解体)。
1958 昭和33年 外観を復元して再建。
天守閣
望楼型天守(鉄筋コンクリート5層5階)
文禄元年(1591)〜遅くとも慶長元年(1599)ころ完成。昭和33年(1958)再建。
高さ39m(石垣12.4m・建物26.6m)
広島城は中国地方の戦国大名の雄、毛利元就の後を継いだ毛利輝元が築城しました。当初の天守閣は南と東にそれぞれ小天守を持ち、それぞれを渡櫓で連結した連結式天守だったそうです。関ヶ原以前では天下無双といわれたこの旧天守閣は、昭和6年に国宝に指定されていましたが、昭和20年、原爆のため惜しくも倒壊してしまいました。昭和33年に築城当時の姿で再建されました。内部は歴史資料館として利用されています。
城内案内
太鼓櫓 太鼓櫓内部 広島護国神社 広島大本営跡 天守閣最上階 広島城暗渠跡
太鼓櫓は広島城の二の丸にあたり、出撃の拠点となる馬出しの機能を持ち、本丸の正面を守る役割を果たしていました。 平成6年に再建された太鼓櫓の内部写真です。 広島城内には護国神社があります。明治元年(1868)、戊辰戦争の戦死者を祀るために建設されました。当時は「水草霊社」と呼ばれていました。その後、明治8年に「官祭招魂社」と改称されたのを経て、昭和14年に現在の名称になりました。 明治27年(1894)の日清戦争後、広島市に大本営がうつされました。ここには当時第五師団司令部の建物があり、そこが明治天皇の行在所とされました。その後も保存されていましたが、原爆によって建物は倒壊し、今は礎石のみが残されています。 人口100万人をこえる中国地方最大の都市。天守閣からの眺めは最高といいたいところですが、実は隣の高層マンション群の方が高い。 この石組みは、かつて外堀と内堀とを結んでいた暗渠(あんきょ=地下水路)遺構の一部です。堀の水量の調節を行なった水路と考えられています。昭和57年9月に、地下道の建設中に発見されました。
0302原城 0304唐津城
(C)社会科ちゃん