太鼓櫓は広島城の二の丸にあたり、出撃の拠点となる馬出しの機能を持ち、本丸の正面を守る役割を果たしていました。 |
平成6年に再建された太鼓櫓の内部写真です。 |
広島城内には護国神社があります。明治元年(1868)、戊辰戦争の戦死者を祀るために建設されました。当時は「水草霊社」と呼ばれていました。その後、明治8年に「官祭招魂社」と改称されたのを経て、昭和14年に現在の名称になりました。 |
明治27年(1894)の日清戦争後、広島市に大本営がうつされました。ここには当時第五師団司令部の建物があり、そこが明治天皇の行在所とされました。その後も保存されていましたが、原爆によって建物は倒壊し、今は礎石のみが残されています。 |
人口100万人をこえる中国地方最大の都市。天守閣からの眺めは最高といいたいところですが、実は隣の高層マンション群の方が高い。 |
この石組みは、かつて外堀と内堀とを結んでいた暗渠(あんきょ=地下水路)遺構の一部です。堀の水量の調節を行なった水路と考えられています。昭和57年9月に、地下道の建設中に発見されました。 |