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0315島原城

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【島原城天守閣】

5層5階で「唐造り」と呼ばれる破風を持たないのが特徴
島 原 城
所 在 地 長崎県島原市城内1-1-1
城の種別 連郭式平城
別  名 森岳城 ・ 高来城
築 城 者 松倉重政
歴代城主 松倉氏 → 高力氏 → 松平氏 → 戸田氏 → 松平氏
築 城 年 寛永元年(1624)
天 守 閣 鉄筋コンクリート5層5階(独立層塔型)
交  通 島原鉄道 島原駅
そ の 他 小藩でありながら巨大な城郭建築。庶民に強いられた負担は後に島原の乱の原因となっていきました。

島原大変(寛政4年(1792))
 島原城下に大地震が起きました。そして、雲仙普賢岳山系のひとつ眉山が崩壊し、3億トンともいわれる土砂が城下や有明海へ向かって流れ落ちました。この土砂による衝撃で有明海の対岸にある肥後(熊本県)へ巨大な津波が押し寄せ、多くの犠牲者が出ました。さらに、その返し波が再び島原城下に押し寄せるなど、被害は拡大していきました。この出来事を「島原大変、肥後迷惑」といいます。死者は合わせて約1万5千人。現在も記録が残る史上最悪の火山災害となりました。ちなみに、島原市沖の有明海に点在する九十九島はその時の土砂によってできた島々なのだそうです。
もっと詳しく→島原城

歴史年表
1618年

(元和4年)松倉重政が森岳に島原城の築城を開始。

1625年

(寛永2年)島原城竣工。

1638年

(寛永15年)松倉氏、島原の乱の責任を取らされて改易。高力氏が入封。

1669年 (寛文9年)松平忠房入封。
1792年 (寛政4年)島原大変。
1874年 (明治7年)廃城。
1964年 (昭和39年)天守閣再建。
天守閣
独立層塔式
鉄筋コンクリート造5層5階
寛永元年(1624)完成
 高さは約33m。1871年の破却まで天守閣は築城当時のものが残っていたとの事です。特徴としては破風がない「唐造り」が挙げられます。一層目の海鼠壁は当時の天守閣には4層目まであったとの事です。
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