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大手門跡 |
鉄門跡 |
石垣 |
小倉城の正門です。見事なのはこの付近の石垣です。付近の川から運んできた石をそのまま積み上げています。基本的には野面積みなのでしょうが、中には巨大な石もあります。
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藩主及び家老などごく限られた者は槻門を通り、鉄門はそれ以外の一般の武士などの登城口だったそうです。復元された部分とそうでない部分が石垣の色で分かります。小倉城の建物は、幕末に長州軍と戦った折、落城して落ち伸びる際、自ら火を放って焼け落ちたとの事ですが、その時の熱で赤く変色しているのが分かります。 |
細川忠興の自慢だったといわれる大手門付近の石垣です。野面積みで、付近の川から運ばれた石をそのまま積み上げています。 |
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内堀 |
旧第十二師団司令部正門 |
旧第十二師団司令部 |
あまり良い状態とはいえませんが、このように石垣に囲まれてわずかながら堀が残されています。 |
明治31年に第十二師団司令部が小倉城の本丸に設置されました。建物は現存していませんが、正門だけはこのように当時のまま現存しています。なお、この第十二師団の軍医部長を務めていた経験がある文豪の森鴎外もこの門をくぐって登庁していたということです。 |
小倉城の本丸跡です。大正14年に久留米に移転するまで、旧日本軍の第十二師団司令部が設置されていました。 |
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鯱鉾 |
天守閣から庭園 |
即非蓮 |
天守最上階から撮影。小倉城の天守ほかいくつかのお城にはこのように、最上階以外にも鯱鉾が置かれています。
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天守閣最上階東側からの眺めです。堀端に見えるのが小倉城庭園です。堀の向こう側には北九州市の市街地が見えます。 |
「1657年、来日した中国の僧、即非は、中国から選んだ蓮の種を黄檗州の本山、万福寺(京都府宇治市)近くの池に植えました。即非は1665年、小倉藩主・小笠原忠真に請われて広寿山福聚寺を小倉に開いています。即非が植えた蓮は、350年経った今も花を咲かせています。小倉・小倉東両ロータリークラブが、西暦2000年度の合同事業として、即非ゆかりの蓮の苗を小倉城庭園に寄贈しました。即非蓮は一重咲きで毎年6月半ばから8月まで、鮮紅色の色の花を咲かせます。」案内板による。 |