☆ 「武者返し」とよばれる特徴的な石垣をもつ見どころの意外と多いお城
第39話 人吉城
球磨川とその支流胸川との合流点にある山に築かれた平山城で、それらの川を天然の堀にするなど、地形をうまく活用している。また、函館の五稜郭などにしか他に例を見ない「武者返し」とよばれる特徴的な石垣をもつ見どころの意外と多いお城といえるだろう。
前日、前々日と飫肥城、鹿児島城と訪問したが、いまいちぱっとしない天気。そして、ついに人吉城訪問時は本降りの雨になってしまった。というわけで、まずは「人吉城歴史館」へ入館。駐車場ももちろんある。中には、その他のお城に付随するいくつかの資料館と同様、そのお城の往時の様子を示した巨大ジオラマが展示されていた。
これを見ると、球磨川と胸川の合流点付近に居館などの施設が並んでいるとともに、その奥の小高い山にお城としての防御施設が備わっていることがよく分かる。天守閣はなく、その代わりに本丸には護摩堂があったということである。
球磨川にのぞむ人吉城
日本100名城スタンプを集める以前には訪問したことがなく今回初めての訪問。訪れる前のイメージは大したことなく、たかが知れた程度と思っていたが、日本三大急流で、九州有数の河川である球磨川を天然の堀としたスケールの大きさは大したものである。球磨川に架かる橋の上から望む石垣とその上に復元された櫓や塀を見てもなかなかのものだと感心してしまった。
平山城の構造をもつ人吉城だが、ふもとにある人吉城歴史館を訪ねた後は、日本100名城スタンプのデザインにもなっている球磨川の中州からのアングルをカメラに収めようとした。しかし、ここで雨脚が強くなってしまい、傘をもっていなかった私は、自分よりもカメラが水にぬれて壊れてしまうことを心配して引き上げることにした。ただ、中州には下りなかったものの、橋の上から何枚か撮影し、その威容を確かめることはできた。
いよいよ雨が激しくなってきた。
雨脚が弱まったのを見計らって登城開始、がしかし・・・
そのあとはしばらく車の中で雨宿りをしていた。
真夏の雨だったので通り雨も多いだろうとしばらく駐車場で携帯をいじりながら待っていたのだが、いっこうに雨がやむ気配がない。訪問の最大の目的である日本100名城スタンプを押すことはすでに達成していたのでそのまま人吉城を後にすることも可能だった。正直、熊本城訪問の後に控えていたので迷ったのだが、やはりたったこれだけでこの地を後にすることは気が済まなかったので、雨脚や弱まったのを見計らって半ばずぶ濡れを覚悟で本丸を目指すことにした。
しかしやはり断念。
登り口付近で再び雨脚が強まり、付近の石垣を撮影するにとどめざるをえなかった。傘を買えば良かっただけの話だが、近くに適当なお店もなく、なにゆえかこの日は傘を買う気もすすまなかった。あえていえば「きっと止む」という変な予感がしたからだが、その予感はついに当たることはなかった。そればかりでない。同日訪問となった熊本城でも終始雨降りの状態であった。
希少な「武者返し」が見られる石垣
武者返し・間米蔵跡
本丸への登城は断念したが、ふもとにある有名な「武者返し」の石垣を確認することはできた。これは、石垣の最上段がせり出していて、最上段へ登ってもそこから先に侵入できないような造りになっている。なるほど単純ではあるが、石垣を登ろうとする敵に対する防御力は上がること間違いない。このような造りは、基本的には幕末に造られた五稜郭などの西洋式城郭のみに採用されているものであるが、熊本城の天守などに採用されているアイデアを応用したものともいえると思う。
水の手門跡・球磨川側からの水の手門
また、川に面した場所にあった水の手門の跡も確かめることができる。もちろん、河川を利用した水運を意識してのことだとは簡単に判断がつくが、このようにはっきりとした遺構が見られるのは少ないように思う。
いよいよ強まる雨脚。断続的に続き、カラリと晴れる気配なない。本来ならば、一段高い段丘の上に本丸があるはずであるが、この雨だと本丸登城は厳しそうである。
この先は断念・・・
球磨川ではカヌーをやってました
( 2010年(平成22年)8月11日 訪問 )
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 〒868-0051 熊本県人吉市麓町 |
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交通 | 九州自動車道 人吉ICより ・・・約2.5km JR肥薩線 人吉駅より ・・・約2.1km |
リンク | 人吉城歴史館ー歴史・文化|人吉市 |
別名 | 繊月城、三日月城 |
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城郭構造 | 梯郭式平山城 |
天守 | なし |
築城主 | 相良長頼 |
築城年 | 1204年-1206年頃(元久年間) |
主な改修者 | 相良義陽、相良頼寛 |
主な城主 | 相良氏 |
文化財指定等 | 日本100名城(93番) |