第53話 新発田城
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〜新発田城〜
日本100名城探訪ということで、今回は新潟の北に位置する新発田までやってきました。 京都からは北陸道で数時間。特に新潟に入ってからが長いこと長いこと。 この夏は半ば100名城スタンプの収集に明け暮れた感があり。 その第一弾が今回のお城、新発田城です。
全国津々浦々と城めぐりをしていますが、このお城の櫓ときたらかなりいい。櫓部門では、全国屈指といえるかもしれません。この櫓に比肩するものを考えても、熊本城の宇土櫓くらいしか思い浮かびません。
〜二の丸隅櫓・三階櫓〜
この新発田城、元々はその名の通り、新発田氏の築城です。この新発田氏とは、上杉氏の家臣筋だったのですが、上杉景勝の代になって、反乱を起こしたため鎮圧後、滅亡の憂き目にあっています。しかし、その後も新発田の名は存続し、江戸時代は溝口氏の治める新発田藩として明治維新を迎えています。
新発田城の堀は、現在でも堀には満々と水をたたえていますが、その向こうにはいきなり三重の櫓が見えてきます。
この櫓、本丸の北西にあった三階櫓という櫓で実質的な天守閣。何度か火災や破却の憂き目にあっていますが、現在と同様のデザインのものは延宝7年(1679)に建設され、明治維新の時に一旦解体されたあとで、平成16年(2004)に復元されたものです。 新しいだけでなく、その特徴的な外観もすばらしい。まず、目を引くのが屋根。T字型になっていて、全国でも例をみません。さらに、初層には海鼠壁があってかっこいい。防火や寒さ対策などの機能からこのようにしてあるようです。
〜古写真〜
(明治初頭に撮影された貴重な古写真が存在します。このような古写真は往時の姿を裏付ける決定的な証拠になるので、復元建物の建築許可も下りやすいのです)
〜帯曲輪〜
「城主溝口氏家紋」新発田市の市章にもなっています 「内堀」表門が見えます
この付近は二の丸に位置します。ここから本丸へと入っていく訳ですが、そこに至るまでにも見所がたくさんあります。 例えば、二の丸から本丸へと続くところにある帯曲輪跡地。かつては二の丸と帯曲輪との間には「土橋」および「土橋門」なる立派な門があったことが確認されています。現在では惜しくも現存していませんが、往時の防御の堅固さがうかがえます。それというのも、土橋はわざと堀にたいして(直角ではなく)斜めに掛けられており、城内から鉄砲を射撃するときに死角をもうけない工夫がされていたのです。 そして、帯曲輪跡地。本丸の周囲にその名も帯状にあった曲輪ですが、ここで意外な人物と遭遇。 堀部安兵衛!あの忠臣蔵で有名な堀部安兵衛の像がありました。赤穂でもなく、「鍵屋の辻」のある伊賀上野でもなく意外なところにありました。説明板によると彼の父は新発田藩士だったとのこと。なるほど。
〜 本丸へ 〜
本丸の往時の姿 御殿風の建物があったことがわかります。
〜 本丸 〜
そして本丸へ。重文に指定されている表門(脇の切り石が見事!)をくぐると、そこは広大な本丸・・・といいたいところですが、狭い。 それというのも、本丸のほとんどは自衛隊の所有地となっていて、先に紹介した三階櫓も入れないことになっています。 俗に戦国自衛隊の城というらしいですが、なるほど納得です。 夏の盛りの訪問。しかし、この暑い中でも地域の発展に貢献しようとガイドの方々ががんばっていました。おつかれさまです。ちなみに、ここで日本100名城スタンプをゲットできます。珍しいハンコ型のスタンプ。
狭い本丸の中にはいろんなものがおかれているのですが、初代藩主の溝口秀勝の像があります。堀部安兵衛は、秀勝の曾孫にあたるという説もあるということです。
〜 本丸つづき 〜
中に入れない三階櫓の代わりに、それに関わる資料の展示は辰巳櫓や表門内にあります。ボランティアガイドの方と談笑しつつ、一応決まった順路に沿って本丸内の施設を訪ね歩きます。
「辰巳櫓」
まずは辰巳櫓。辰巳とは南西のこと。つまり、本丸南西隅に位置している櫓ということで、何ら変哲もなし。ただ、平成16年(2004)に三階櫓とともに再建された新しい櫓で、結構ピカピカ。
「日本100名城認定証(新発田城)」
日本100名城の認定証が飾られてありました。他のお城にもこうやって額に入れられて目につくところに飾ってあるのを見たことがあります。
「辰巳櫓の礎石」
〜 表門へ〜
順路に従うと、次は表門内部へ行けとということの様です。
表門は国の重要文化財に指定されていて、新発田城の顔である三階櫓よりもはるかに文化的価値は高いです。何と、徳川吉宗で有名な享保年間(享保17年)の建築なのです。西暦では1732年! この様に門の上部がさながら建物のようになっている門を特に櫓門といいます。もちろん、居住していた訳でなく、倉庫であったり、有事の際は門をくぐる敵を上から攻撃したりするのに使います。
〜 二の丸隅櫓 〜
最後に旧二の丸隅櫓。これはその名の通り、二の丸にあったものを現在地に昭和になってから移築したものです。しかし、元々は江戸時代からの現存建物で、表門同様、国の重要文化財に指定されているのです。 中に入れば江戸時代の建築といわれて納得するような雰囲気を感じることができるでしょう。ただ、外観もなかなかです。特に腰巻きのような海鼠壁がいいです。有名なのは金沢城ですが、雪国のお城には特徴的だったのでしょう。 確かに、新発田とかゆかりのないところ。
〜 ギャラリー 〜
100名城めぐりという旅の目的がなければ訪れることはなかったかもしれません。 しかし、たとえ新発田城が唯一の観光目的だったとしても、訪れるに値する町であり、お城であることは確かでした。
( 2011年(平成23年)8月3日 )
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 新潟県新発田市大手町6 |
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交通 | JR羽越本線 新発田駅から徒歩約20分 |
URL | 新発田市観光協会 - 新発田城のページ http://shibata-info.jp/archives/sightseeing/新発田城(国指定重要文化財) |
別名 | 菖蒲城、舟形城 |
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城郭構造 | 平城 |
天守 | (天守相当)御三階櫓 複合式層塔型3重3階(1679年(延宝7年) 再・非現存) (木造復元・2004年(平成16年) 再) |
築城主 | 新発田氏 |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 溝口秀勝 |
主な城主 | 溝口氏 |
文化財指定等 | 日本100名城(31番) 国指定重要文化財(表門・二の丸隅櫓) |