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  • 第52番 観音寺城
  • 100名城スタンプ設置場所;石寺楽市会館、観音正寺

    スタンプの図柄は平井丸といって、観音寺城でも最大規模の郭にある遺構です。あまりに広いお城なので、この場所を特定することができませんでした。

☆☆☆ 圧巻!1000を超える曲輪をもっていた山城

第2話 観音寺城

< 01話 二条城 | 03話 安土城>

 

観音寺城

観音寺城は佐々木六角氏が築城した日本有数の山城。何せ、標高433mの繖山(きぬがさやま)全体に曲輪を配置して、土塁や石塁で守り固めていたそうだ。その曲輪の数ゆうに100以上、小さいものまでいれれば1000を超えたという。その規模は圧巻のひとことに尽きる。その上、多くの支城を擁していたということなので、全国有数の巨大な山城だったことは決して大げさではなさそうである。

このお城を一日ですべて見つくすことは到底不可能。それゆえに、いまだに知られていない遺構もきっとあると思われる。

ちなみに、観音寺城があるのは、あの織田信長が築城した安土城は目と鼻の先のところである。安土城のある安土山とは尾根続きの位置にある。

 

登り口

 

繖山の全景 

 

この観音寺城へ登っていく道はいくつもあるそうだが、観音正寺の表参道から登って行くのが最も分かりやすい。というわけで、国道8号線を彦根方面に移動。途中、左折して新幹線の高架をくぐって表参道の方へ進んでいく。

この付近は、繖山の全景を見ることができる。

この山全体が巨大な城郭だったとはにわかに信じがたいほどの巨大さである。

 

石寺楽市会館 

 

表参道登り口の交差点付近には、石寺楽市会館があり、ここで「日本100名城スタンプ」を押すことができる。休日は開いていないことがあると聞いていたが、この時はちゃんと営業していた。

駐車場から観音正寺へ

 

表参道入口 

 

石寺楽市会館のある交差点をまっすぐ進めば表参道で、観音正寺まで最短で登っていくことができる。この道は、安土城の大手道を思わせるような道で、山腹まで直線的に一気に登っていくことができるようである。

しかし、この時は八合目まで車で移動したので、迂回して林道へ入ることとなった。

林道の入り口にはゲートがあり、500円の整備協力金を支払って登ることになる。ただし、この林道は冬期には閉鎖となるらしいので、注意が必要である。

 

車で登ることができる終点には、5台程度の駐車スペースがあり、そこからは徒歩で登ることになる。

駐車場に来た段階で、すでに八合目だが、ここから観音正寺までも結構大変な登り道になっていた。昔の人は何と健脚だったのだろうかと感心してしまう。さらに、城攻めの際は、鎧を着て武器を持っていたはずなので、ただ登るだけでもすごく疲れたにちがいない。まあそもそもそんなことも想定して戦国時代は山に城を築いていたんだが・・・

 

表参道脇に、さっそく石垣の遺構を確認することができた。

観音寺城があったここ繖山は、山全体にこのような石垣や土塁の遺構があって、観音寺城の規模の大きさに圧倒されてしまう。

 

観音正寺

 

観音正寺 

 

かなりの登りの末、やっと観音正寺に到着した。

 

【観音正寺データ】

山号 繖山
寺号 観音正寺
所在地 Address 滋賀県近江八幡市安土町石寺2
宗派 天台宗系単立
本尊 千手観音
創建 Since 推古天皇13年 / 605(伝)
開基 聖徳太子
札所等

西国三十三所32番

江州三十三観音26番

 

観音正寺の山号は繖山(きぬがさやま)。西国三十三ヵ所観音霊場、第三十二番札所。

 

本堂(観音正寺) 

 

本堂には、人魚のミイラと考えられていた寺宝があったそうだが、平成5年(1993)に本堂が火災にあい、本尊とともに焼失してしまったたしい。しかし、現在はその本堂も再建されている。

 

ちなみに本堂脇の石組がすごい。


 

近江盆地のながめ 

のどかだが、ここに西進し、都を目指す織田軍の大群がひしめいていたら・・・。木瓜紋がはためいて・・・。支城だった箕作城をあっけなく陥落させられると、六角義治や義賢、義定ら観音寺城を守っていた一団は、あっけなく城を捨て逃亡していきました。

ちなみに、観音寺城を中心とする支城ネットワークの一つ、日野城を守っていた蒲生賢秀は最後まで抵抗を試みたが、最終的には織田勢に屈服。幸福の証として、子の鶴千代を人質として差し出している。この鶴千代こそ、のちの蒲生氏郷とのことである。

 


 

観音寺城の本丸へはここからさらに先に進まなければならない。

観音寺城跡へ向かう

 

観音寺城の本丸へ向かう道は、一段と険しくなる。ただ、その奥に忽然と人工物が残されている。とても不思議な空間である。

 

途中には分かれ道もあり、若干迷う。

本丸方面へと向かう前に、それらの分かれ道に迷いこめば、小さめの郭が数珠つなぎで続いている場所にしばしば行き着く。これらの郭は、それぞれに平井丸、池田丸など家臣たちの名を冠しているらしいのだが、どこがどの郭なのかまったく見当がつかない。これらの郭やすべての遺構をひとつひとつ確認しようとすれば、一体どれだけの時間がかかるのかと考えさせらてしまう。

 

竹やぶの奥に石段が見えるのがわかるだろうか?この先が本丸になっている。

本丸跡

 

山奥に忽然と姿を現す巨大な石垣は、本丸への登り道である。

側溝の遺構/井戸跡? 

この石段の遺構がまた圧巻。両脇には側溝が整備されている。安土城の大手道にも同じような遺構があるはずだが、こちらの方が時代は先になる。

 

登りきったところが本城跡/本城跡の碑 

石段を登り切ると広い平坦地が現れる。ここが本丸である。「本城跡」の碑がたっている。ただ、ここでも山頂ではなく、本丸はさらに登って行った先にあったのだという話も聞く。なんでもその道はよく知られていないらしい。

本丸斜面の石垣/周囲を囲む盛土 

この本城跡は往時にどのような建物が建っていたのか未だにわかっていない。建物の礎石の位置も判然としない。周囲は土塁か石塁かは不明だが、盛り土で囲まれているのは確認できる。

本丸にあった遺構/朽ちかけの石塁 

また、奥の方にはくぼ地があり、周囲を石で固めた遺構があった。よく見ると井戸の跡のようだが、定かではない。山頂に井戸を儲けたとなると、かなりの深さまでほって行かないと水源に有り付けないように思う。


 

食い違い虎口 

登ってきた石段の反対側には、「食い違い虎口」がある。本丸の搦手(裏門)だが、その遺構はこの付近では最も状態が良い。そこを通って、本丸の反対側から出ると、桑実寺(くわのみでら)を経て、表参道と反対側、織田信長の居城で有名な安土山方面へ下りていくことができる。ただ、今回は車に戻らなければならないので、残念ながらここで引き返すことになった。

 

食い違い虎口 

なお、この付近の脇道には、洞穴のような遺構がみられる。近づいてみると「井戸跡(大夫井戸伝承地)」と案内があるのに気がついた。中をのぞいてみると今でも水をたたえているのがわかる。

 

 

( 2009年(平成21年)3月15日 訪問 )

 

データDeta /アクセスAccess

所在地 Address 〒521-1331 滋賀県近江八幡市安土町桑実寺 安土町石寺
交通

 

公式サイト  
別名 佐々木城
城郭構造 山城
天守 なし
築城主 六角氏頼
築城年 1467-87頃
主な改修者  
主な城主 佐々木六角氏
文化財指定等 日本100名城(52番)
国指定史跡
日本五大山城
日本五大山岳城

 

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