第28話 大阪城
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極楽橋と天守
天守閣に向かっては南の方角なので撮影する時間帯や天候を考えないと強い逆光になるが、その点は露出を調整することでなんとか克服できる。この本丸北にある山里曲輪へとつながる極楽橋付近からの天守の姿が数ある大阪城天守の撮影スポットの中でも最も美しく撮れる場所のひとつと思う。(でも実はもっとオススメの撮影場所がある(後述))
何度も訪れている大阪城。さすがは天下人秀吉が築城したお城のことはある。規模も大きく、本丸東面の石垣の高さはかなりのもの。また、全国に先駆けて初めて再建されたという天守閣がかなりの美しさ。文化財としての価値は江戸時代から現存している天守閣(いわゆる「現存12天守」)には及ばないが、少なくとも私の中では、外観の美しさかっこよさは全国でも一、二を争うと思っている。
さて、この大阪城。今まで何度も訪れたことがあるといったが、迷うのはこの広い城郭をどのように効率よく回るかである。毎回悩むところであるが、それには、「最寄りの駅」が重要になってくるだろう。
私なんかは、初めての訪問の際は何にも考えず駅名から大阪環状線の「大阪城公園」で下車してから訪問した。ただ、実際利用すれば分かるのだが、お城の正門である大手門から登城したい人にはとても不便な駅だ。大手門に最寄りの駅は京阪電車なども停車する「天満橋」か地下鉄「谷町四丁目」が便利だと思う。
[ クリスマス・イブの大阪城 ]
南外堀と六番櫓
六番櫓をはじめ、江戸時代以降、いくつか現存している建物群はすべて徳川時代のもの。後述するが、豊臣氏時代の以降はすべて残されていない。
大手門脇の南外堀がまたまた立派。死角をなくし、防御しやすいように屈折した石垣がまた見事。ちなみに櫓が見えるのは現存する建物のひとつ六番櫓。天領だった江戸時代を反映してか、どことなく徳川氏のお城によく見られる櫓に似ている気がする。外観は二条城などに見られる櫓にそっくりである。
千貫櫓と大手門
大手門は桝形となっており、一の門は埋門形式。
さて、今回の大阪城訪問は地下鉄「谷町4丁目駅」を起点とした。ここからが大手門に最も便利だと思う。今までも何度もくぐったことのある大手門。この付近は空襲などの戦禍にたえた櫓や門などがのこされており、いずれも国の重要文化財に指定されている。空襲で多大な被害を被った大阪において、重文の建物が残されているのは意外なことと思う。
大手二の門と大手枡形の巨石
枡形の奥にある大手二の門は櫓門形式。このような組み合わせはデフォルトのように多くの城郭で共通に見ることができる。
また、大手門など重要な場所には巨石が使われることもよくあることで、この付近の石はかなり巨大である。ちなみに、城内で最も巨大な石は「蛸石(たこ石)」といい、本丸正門に当たる桜門付近にある。
とあるお方からの招待によって、クリスマスイブに「くるみ割り人形」を観る機会が大阪であり、そのついでというのが今回の大阪城訪問のきっかけだった。チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」についてはあまりにも有名なので、いまさら説明することもないが、設定はクリスマスになっているので、実際にクリスマスに観ることができたのはとてもいい経験になった。
[ 本丸南面付近 ]
本丸南側にある空堀が見事。
水堀とは違ってまた別の意味で高い防御力を誇っていたことが想像できる。ちなみにこれだけ堅固な縄張りと石垣を擁する大阪城をみるとさすがは天下人秀吉のお城だと言いたくなるところだが、実際は豊臣氏時代の遺構は大阪の陣によって完全に失われ、江戸時代に一から築城しなおしたものを現在のわれわれは見ている。豊臣氏時代の大阪城の遺構はさらに数メートル下の地中に埋まっているという。
さらに、この付近には「石山本願寺の推定地」の碑がある。ちなみに奥に見える櫓は六番櫓。石山本願寺は織田信長を苦しめた仏教勢力のひとつ。あの信長が相当てこずった実績のある戦い。織田信長との抗争、いわゆる「石山合戦」に本願寺側が敗れた後、その跡地に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が信長の安土城にも負けない巨大なお城を築いたのである。
[ 本丸 ]
現在の本丸への正門ともいうべき門はこの桜門(重文)になる。
この門は、明治20年(1887)に再築されたもの。もともとは寛永3年(1626)に築かれたが、明治元年(1868)に焼失。両側の塀はその時以来、焼失したままになっていたが、昭和44年(1960)に修理され現在の姿になっている。
この桜門からの両側には空堀が広がっている。かなりの高さ。そして、門をくぐった先に城内でもっとも大きい石、「たこ石」があります。36畳敷(60平方メートル)の広さだそうな。豊臣家の栄華を誇示するにふさわしい巨石だ。
そして、本丸。東側にひときわ目立つ建物があります。昭和6年(1931)に昭和天皇の即位を記念して、天守閣などとともに造られた第四師団司令部の建物。大阪市民の寄付が当時の金額にして150万円集められ造られたということである。戦後は、大阪市警視庁、次いで大阪府警本部として使用され、昭和35年から平成13年まで大阪市立博物館として使用されていた。
ギャラリー 天守閣
天守閣については、撮影ポイントを紹介
先ずは上の写真。昭和6年(1931)の大阪城復興に際して作庭された純日本式庭園。本丸南隅にあり、池の南側からは天守閣を借景にした景観が見られる。実は隅っこにあるゆえに、人が少ない。まさに「灯台下暗し」
ここは天守閣に向かっては南の方角なので撮影する時間帯や天候を考えないと強い逆光になる。その点は露出を調整することでなんとか克服できるかもしれない。だとすれば、この本丸北にある山里曲輪へとつながる極楽橋付近からの天守閣の姿も美しい姿が撮れる屈指の撮影スポットと言えるのではないだろうか。
西の丸庭園からは堂々とした真正面からの天守閣を撮影できる。
また、100名城スタンプのデザインは、おそらくこの西の丸庭園からの天守閣の姿を採用しているように思う。100名城訪問の際は、いつもスタンプと同アングルの地点で撮影をしているので、西の丸庭園も当然訪れたが、何と有料。
しかし、100名城スタンプを見せながら、
「撮影したいだけなので・・・」
と言ったら勘弁してもらった。ありがとうございます!
でも実は、大阪歴史博物館からの大阪城が最も絶景だと思う。高いところから見下ろすことができるので、広い大阪城を一望できるのだ。特に夕方は順光となり、天守閣が西日に映えてひときわ目立つので午後の遅い時間がよいのでは。
( 2009年(平成21年)12月24日 訪問 )
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城1−1 |
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交通 | 北西側 京橋口 西側 大手門 南側 大阪城パークセンター経由玉造口 東側 青屋門 |
リンク | 大阪城天守閣 http://www.osakacastle.net |
別名 | 錦城、金城 |
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城郭構造 | 輪郭式平城 |
天守 | 複合式もしくは連結式望楼型5重6階地下2階(豊臣期・1585年築) 独立式層塔型5重5階地下1階(徳川期・1626年再) いずれも非現存 独立式望楼型5重8階(1931年SRC造復興) |
築城主 | 豊臣秀吉 |
築城年 | 天正11年(1583) |
主な改修者 | 徳川秀忠 |
主な城主 | 豊臣氏(豊臣秀吉・豊臣秀頼)、奥平氏、徳川氏 |
文化財指定等 | 日本100名城(54番) 国指定特別史跡 国指定重要文化財(櫓・門など) 登録有形文化財(再建天守) |