第61話 川越城
〜川越城絵図 〜
川越城全図。現在の町並みにオーバーラップさせた絵図です。
これを見るともうほとんど当時の面影は無いような感じです。曲輪や堀は複雑に巡らされていましたが、現在の町並みは完全に無視されて作られています。本丸御殿のみ現存しているとはなかなか珍しい。
〜川越城本丸御殿絵図 〜
「本城住居絵図」
赤で囲んだところが現存している部分。 なんと巨大な建物だったことが分かります。ほんの、本当にほんの一部に過ぎません。このお城を名城と思って訪問するのには無理があるでしょう。しかし、かつて名城だったことは間違いありません。「川越夜戦」でその堅固さは証明済みです。現在は、本丸御殿が奇跡的に現存している以外はこれといって見どころがなく、歴史上の名城なのであって、現在に残る名城のイメージとは程遠いでしょう。 このことからもほぼ訪問は本丸御殿の見学に終始することになりました。
しかし、見ごたえはそれなりにあって、軒瓦をはじめとして、ところどころに見られる葵の紋がその威容をひき立ててくれています。
〜前回の川越城訪問 〜 2009年12月07日撮影
実は、川越城は二度目の訪問。最初は本丸御殿が改修工事中なうえ、スタンプ設置場所である歴史博物館が閉館中・・・ホームページを見ても年中無休と書いてある中、富士見櫓跡みたいなところに行った以外は、ほとんど何もできずに帰ったことがありました。あれはいったいなんだったのだろう・・・。
しかし、今回は改修工事が終わった本丸御殿の見学とスタンプの二つの目的が達成できて一安心。
〜川越城本丸御殿 〜
「本丸御殿の外観」 圧倒的な存在感を放つ本丸御殿の車寄せの部分。同時に川越城の顔というべきもので、100名城スタンプのデザインにもなっています。
「広間」36畳敷、正面には巨大な床の間。ひときわ目立つ杉戸絵は藩の御用絵師、舩津蘭山が描いたもの。
「交換した南側鬼瓦」三葉葵の紋が圧倒的。
「建築当初の屋根下地」サワラ材短冊状に薄く切った板を重ねて葺くもので「土居葺き」というそう。
現在庭になっているこの部分。写真正面から奥に向かって家老詰所へと向かう廊下がありました。その柱の部分だけ、丸石を置いて示してあります。
〜 家老詰所 〜
藩の政治を取り仕切った家老たちが常駐していた場所。この建物は明治初期に解体、移築されていましたが、昭和62年(1987)に川越城の意向であることが確認されたため、現在の位置に移築復元され、公開されるようになったとのこと。
順路そって、くまなく見て歩くことができます。
家老たちが議論している様子。リアルな人形で再現。
真夏に咲く花、百日紅が美しいお庭。
もういっぺん外観を
この塀は非常に特徴的。櫛形塀といいます。 そもそもこの本丸御殿は江戸末に近い19世紀中ごろ(1848)の竣工。江戸以前の建築としては割と近年の建築といえます。当時の城主は松平大和守斉典で17万石の大名。

いつもはふたがしてありますが、敵が攻めてきたときにふたを取ると、霧が立ち込めて城全体を包み隠していたとの伝説があります。川越城が「霧隠城」と別名を持つゆえんです。
川越市立博物館
川越城本丸御殿の隣にある博物館。川越の中心地からちょっと離れていて、閑散としていたイメージが。実際に入って見学した記憶も定かではないことから、ひょっとしたらスルーしてしまったのかもしれません。
〜 ギャラリー 〜
( 2011年(平成23年)8月9日 )
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 〒350-0053 埼玉県川越市郭町2丁目2-13-1 |
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交通 | 西武新宿線本川越駅または東武東上線・JR川越線川越駅より東武バス「蔵の町経由」乗車札の辻バス停下車、徒歩8分 東武バス「小江戸名所めぐり」乗車博物館前バス停下車、徒歩0分 イーグルバス「小江戸巡回バス」乗車博物館・美術館前バス停下車、徒歩0分 |
URL | 川越市立博物館 |
別名 | 初雁城、霧隠城 |
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城郭構造 | 平山城 |
天守 | なし |
築城主 | 太田道真、太田道灌 |
築城年 | 長禄元年(1457) |
主な改修者 | 大道寺政繁、松平信綱 |
主な城主 | 扇谷上杉氏、後北条氏、酒井氏、堀田氏、越前松平氏、他 |
文化財指定等 | 日本100名城(19番) 埼玉県指定史跡 埼玉県有形文化財(本丸御殿) |