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  • 第22番 八王子城
  • 日本100名城スタンプ設置場所 八王子城跡管理棟前

    デザインは再建されている曳橋。御主殿に至る途中にある重要な橋です。

☆ いろんなものが「出る」恐怖のお城?

第63話 八王子城

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八王子城 2011年夏の100名城めぐり。新発田城からはじまって実に11城め。スタンプ集めにこれほど情熱をそそげるのかと思ったくらい。でも、自身のライフワークと位置づけているので、楽しんでいることには違いはない。

そして、この八王子城が最終訪問。

八王子なる土地にはまったくなじみがないが、このような有数の山城が存在していることに驚く。前回訪問の山中城と同じく北条氏のお城。北条氏が支配していた関東平野の縁にあたり、防衛線としては最終ラインとも位置づけられる戦略上、重要な位置に作られている。

じつは、この八王子城は心霊スポットしてよく知られている場所のようで、事前にそんな情報を入手したばかりに、孤独な訪城者である自分は恐怖に苛まれながらの探検になった。

そんな理由もあり、深沢山(城山)山上の「要害地区」なるエリアへの登城は断念。まだ、八月半ばとはいえ、早朝の訪問はいささか肌寒く感じられ、日も昇りきっていない山間は、孤独と恐怖に若干おびえた精神状態では、思った以上に薄暗く感じる。

 

さて、スタートは「居館地区」とよばれる山麓の施設群の入り口から。しかし、実はそれよりも手前には「根小屋地区」なるエリアも存在し、広大な縄張りを持つお城だったことが分かる。史跡指定地の総面積は約154ha。ざっと東京ドーム約33個分という規模!

 

その「根小屋地区」は城の大手口として城下町の一部を形成していたということである。全体図をみても、川沿いに開けた山城の最も下流部分すなわち城の入り口に位置しているのが分かる。城下町であると同時に、防衛の最前線となっていた地区といえよう。

 


〜 居館地区入口〜

ここから川(城山川)沿いに「居館地区」を探検するにとどめることにした。この居館地区の主要施設は「御主殿」とよばれる大きな館跡(城主の館跡)とその東側に広がるアシダ曲輪。アシダ曲輪には有力家臣の屋敷があったと推定されているが、今回はそのアシダ曲輪の先にある「御主殿」を目指すことにする。

 

ガイドボランティアの控え場

早朝にもかかわらず、すでに人がいた。

「ひとりか?」と訊かれ、YESと答えると、「色んなの出るから気をつけな」との事。 要害地区は行かないつもりだと伝えると、それが良かろうという話し。

よく見ると壁には「マムシに注意!」やら「イノシシ注意」などかなりの冒険を予感させる貼り紙が。「マムシ」「アオダイショウ」「ヤマカガシ」やらよく見られるヘビについての解説もある。できれば出会いたくない方々。

 


〜 いきなりの試練 〜

「この橋はいたんでいるので、真中を通ってください」とある。

おそるおそる渡ることに。「この端わたるな」ってあるから「真ん中を通る」ってまさに一休さんとおなじ。そんなことを考えながら何とか最初の試練をクリア。

 


〜 古道 〜

現在では川沿いの爽やかなトレッキング道。

しかし、八王子城の登城路だったということで、時代の流れを感じる。江戸時代には橋を渡らない御主殿やアシダ曲輪があった側に道が整備されていたということだが、現在の歩道は古道とよばれる元々の登城路を整備して造られていて、近くには大手門跡などがある。川は天然の堀として機能していたことだろう。登城路がわざわざ川を横切って狭い橋を渡るのには守備側のきちんとした意図がある。

この付近には、昭和63年(1988)の確認調査で大手門があったことがわかっている。発掘された礎石や敷石などから薬医門形式の城門があったのではと推定されている。


 

ところどころにあるこんな看板が恐怖・・・

 

 


〜 曳橋 〜

古道をぬけていくと立派な橋がある。

曳橋といい、日本100名城スタンプのデザインにも採用されている橋である。八王子城の「顔」と言ってよい。

 

橋脚は石が積まれていて、さきほどの橋とはちがってかなり頑丈である。

もちろん当時のものではないが、このように強固なつくりとなっていたのは間違いなく、それは御主殿にいたる最後の橋だからといえそうだ。

 

この橋を渡ると御主殿にいたる虎口。ちなみに日本100名城スタンプの図柄はこの曳橋が採用されている。現在でも、八王子城の顔となっている。

 


〜 虎口の遺構 〜

このように整備されているが、旧態は維持しているとのこと。すなわち、当時から地面と壁は全面に石が葺かれているつくりになっていたのだ。また、他のお城のような枡形にはなっておらず、コの字型にルートがなっているのが特徴的。

 

このように側溝のような遺構も見つかっている。これも復元整備されたものであるが、石畳の道とはなかなか手が込んでいる。このあたりがお城の中でも最も重要なところだったのだろう。

また、発掘調査では櫓門の遺構も見つかった。この付近は八王子城の中でも最も豪華なつくりの場所のひとつだったに違いない。

 

この虎口の先、御主殿入り口には門が再建されている。冠木門。虎口一帯は、このように櫓門と冠木門の二つの門に挟まれてあったということなのだろう。

 


〜 御主殿跡 〜

ここが御主殿跡

現在ではただの広場になっているが、発掘調査で城主だった北条氏照が執務を行ったとされる大規模な礎石建物群をはじめ、さまざまな遺構が発見された。

平成4年(1992)からの調査結果をもとにすると、氏照の生活の場はさらに奥にあったのではと考えられている。 興味深いのは、遺構ののほかに当時の生活を物語る多くの遺物も発見されたという点。中には、中国の磁器類や、当時でもきわめて珍しかったとされるベネチア産のレースガラス器の破片もあったということである。

山城といえば戦闘のための施設というイメージを持つが、このように高級な食器、茶器、花器類が発掘されることに驚く。氏照がどのような主君だったのか。いろいろと想像がかき立てられる。きっと単なる粗暴な武将ではなかったことだろう。逆に武将とは程遠い優雅な文人的な人物であったことも想像しがたい。

 


そういった想像を膨らませながらふと「御主殿の滝」を見る。

そばの案内板にはなかなか恐ろしいことが書かれてある。

「天正18年(1590)6月23日の豊臣秀吉の軍勢による攻撃で落城した際に、御主殿にいた女性や子ども、将兵たちが滝の上で自刃をし、次々と身を投じた」

また、「その血で城山川の水は三日三晩、赤く染まった」とも。

はじめの「色んなの出る」という言葉を思い出し、身が震えた。

 


 

 

陽光が見える! 木漏れ日が早朝の森を照らして美しい。 爽やかな朝。

( 2011年(平成23年)8月10日 )

 

 

データDeta /アクセスAccess

所在地 Address 東京都八王子市元八王子町3
交通

JR高尾駅北口1番バスのりばより、西東京バス「高尾の森わくわくビレッジ」「宝生寺団地」「恩方ターミナル」「大久保」「陣馬高原下」「グリーンタウン高尾」「美山町」行きで、バス停「霊園前・八王子城跡入口」下車、徒歩約15分。

土・日・祝日のみ、JR高尾駅北口1番バスのりばより、「八王子城跡」行が運行される。

リンク 八王子城跡オフィシャルガイドトップページ
別名 なし
城郭構造 山城
天守 なし
築城主 北条氏照
築城年 天正18年(1587)頃
主な改修者 なし
主な城主 北条氏照
文化財指定等 日本100名城(22番)
国指定史跡
日本五大山岳城

 

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