彦根城 Hikone Castle
「有数の美しさを誇る国宝天守は最高傑作の一つと言ってよい」
徳川家譜代の筆頭格ともいえる、井伊氏の居城です。関ヶ原の戦いの後、井伊氏は石田三成の居城であった佐和山城を得ましたが、近くのここ彦根に新たな城を築くことになりました。天守閣は国宝指定。城郭が当時のままに存在する数少ないお城となっています。
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 滋賀県彦根市金亀町1−1 |
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交通 | JR彦根駅下車 徒歩 |
公式サイト Official Site | 彦根城 - 彦根観光ガイド : 公益社団法人 彦根観光協会 |
別名 | 金亀城 |
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城郭構造 | 連郭式平城 |
天守 | 現存天守(国宝) 複合式望楼型 3重3階地下1階(1604年築) |
築城主 | 井伊直継 |
築城年 | 元和8年(1622年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 井伊氏 |
文化財指定等 | 【国宝】 【重要文化財(建造物) 】 【その他】
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撮影日
2012-08-15
2009-04-05
2006-12-27
2002-08-09
[ 彦根城 ]
彦根城は日本に5つしかない国宝天守閣を持つお城のひとつです。残りの4つは、姫路城(兵庫県)・松本城(長野県)・犬山城(愛知県)そして松江城(島根県)です。それらのうちでも、大きさこそ大したものではないにしても外観の美しさは随一と言ってよいと思います。
[ 埋木舎 ]
幕末の大老、井伊直弼が青年時代(17歳~32歳)を過ごした建物です。彦根藩主井伊直中の14男として生まれた直弼は、藩の掟で僅か300俵の捨扶持で一生を過ごすことになっていました。直弼の後半生は、激動の一言ですが、直弼自身はここで過ごした青年時代、自分の生涯は花咲くこともあるまいと考え、自分の人生を埋もれ木に例えて、この住まいを埋木舎(うもれぎのや)とよんでいました。
[ 二の丸佐和口多聞櫓 ]
重要文化財。元和8年(1622)の完成といわれています。明和4年(1767)の火災で消失しましたが、すぐに再建されました。石垣は築城当時のものだそうです。
[ 馬屋 ]
重要文化財。藩主の馬部屋として常時十数頭が飼われていました。現在、馬屋として残っているのは彦根城のみだそうです。
[ 表御殿 ]
現在は、彦根城博物館として使われています。ここは、彦根藩主の藩庁があったところです。また、藩主が日常生活を送ったところでもあります。
[ 廊下橋 ]
本丸へと行くためには、この橋を渡っていかなければなりません。戦などいざという時には、この橋そのものを落として本丸への通行を遮断することができたわけです。
[ 天秤櫓 ]
橋の渡った先には、形が天秤のようになっているこの天秤櫓があります。あの豊臣秀吉が築城した長浜城の大手門を移築したものといわれています。
[ 聴鐘庵 ]
時報鐘の隣にある管理棟を改造した聴鐘庵では、自らも「宗観」と号して茶道の修行をおこなった井伊直弼の精神をしのんで、茶の接待が行われています。
[ 太鼓門櫓 ]
この門をくぐるといよいよ本丸です。この門は、彦根寺の楼門からの移築といわれていました。この門の両柱には釘跡が多数ありますが、これは当時巡礼に来た人々が札を打ちつけた釘穴だというのです。しかし、昭和に入ってからの解体修理によってその説が覆される見方が強まってきました。重要文化財。
[ 天守閣 ]
石垣は、彦根城独特のもので頑丈な積み方であり「ごぼう積み」と呼ばれています。天守閣は国宝に指定されています。規模は小さいながら、様々な破風を組み合わせたり、特徴的な花燈窓を持っているなど美しい姿をしています。
[ 天守閣 ]
天守閣は、京極高次(大阪の陣で有名な淀君の妹婿、浅井3姉妹の次女)が築いた大津城の移築といわれています。慶長11年(1606)完成です。
[ 西の丸三重櫓 ]
細長い西の丸の隅に三重の櫓があります。ほとんどの観光客が見落とすといわれていますが、この櫓は浅井長政(織田信長の妹(お市の方)婿。長政・市の子供たちは、茶々(後の淀君)・初(京極高次室)・江(徳川秀忠室・家光母)のいわゆる浅井3姉妹です)の居城であった小谷城の天守閣を移築したものといわれています。現在の櫓は万治年間(1658~61)につくられたものです。重要文化財。
[ 玄宮園 ]
昭和26年、国指定名勝に指定されています。大池泉回遊式の城郭庭園で、第4代彦根藩主、井伊直興によって、延宝5年(1677)につくられました。近江八景や竹生島、沖の白石になぞらえて築庭されたものです。中国、唐の時代(618~907)の玄宗皇帝の離宮からその名が付けられました。背景には、彦根城の天守閣が美しく見えます。
[ 楽々園 ]
藩主の下屋敷として使用されていたところです。幕末の大老井伊直弼の生誕地(1815年10月29日誕生)として知られている御殿です。第4代藩主、井伊直興が延宝7年(1679)に完成させたものです。建築材に槻(ケヤキ)が使用されていたことから当初は「槻御殿」と名づけられました。その後、第12代藩主の井伊直亮がこの建物に「楽々の間」を造ったことから、楽々園と呼ばれることが一般的となりましたが、他にも彦根城の黒門の近くにあるので、黒門前屋敷などと呼ばれていました。