岩国城 Iwakuni Castle
「麓にある名所「錦帯橋」には人柱伝説も」
吉川広家築城の岩国城は、慶長13年築城の山城ですが、わずか数年後に一国一城令によって破壊されてしまいました。麓を流れる錦川には有名な錦帯橋が架かっています。日本100名城(74番)。
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 山口県岩国市横山3丁目 |
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交通 | 山陽新幹線JR新岩国駅下車 岩徳線西岩国駅または岩国駅下車 |
URL | 【錦帯橋】岩国市公式ホームページ |
別名 | 横山城 |
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城郭構造 | 連郭式平山城 |
天守 | 複合式望楼型4重6階(1608年築 非現存) 模擬天守 昭和37年(1962) |
築城主 | 吉川広家 |
築城年 | 慶長6年(1601) |
主な改修者 | なし |
主な城主 | 吉川氏 |
文化財指定等 | 日本100名城(74番) |
撮影日
2002-05-03
[ 岩国城 Iwakuni-jo ( Iwakuni Castle ) ]
築城者 吉川広家 慶長8年起工、同13年(1608)完成しましたが、幕府の一国一城令によって元和元年(1615)に破却されました。それ以後は、この城は廃墟のままでした。
[ 大釣井 ]
この大井戸は、築城と同時につくられました。非常時の備えとしての武器弾薬を貯蔵していたともいわれています。また、敵に包囲されたり、落城の危機さらされた時の脱出口を兼ね備えていたともいわれています。しかし、肝心の脱出口は確認されていません。
[ 天守台跡 ]
天守閣がある本丸を中心として鶴が羽を広げたような形になっていることから舞鶴城という別名が付いたといわれています。城は本丸・二の丸・三の丸・外曲輪(そとくるわ)に分かれており、本丸には天守台、二の丸には藩主の住居と藩庁、三の丸には藩士の館、外曲輪には町人の居住地と町奉行所がそれぞれ置かれていました。
[ 巌流ゆかりの柳 ]
横山(岩国城がある山)の麓を流れる錦川の脇には、巌流ゆかりの柳というものがあります。
吉川英治氏の小説『宮本武蔵』によると、巌流島の決闘で宮本武蔵に負けた佐々木小次郎は岩国生まれで、幼少の頃母から家伝の長光の刀を授かり、この周辺の柳とつばめを相手に修行を行ない、剣術の技能を高め、有名な「つばめ返し」の技をあみ出したとあります。
[ 錦帯橋 ]
錦川に架けられている有名な錦帯橋は、最初架けられた時は大雨による増水で流わずか1年足らずで流されてしまっています。しかし、2度目の橋は架橋以来300年近くも流失しなかったそうです。その理由は、人柱として身を投げた二人の美しい姉妹がいたからであるといわれています。以来、錦川や錦帯橋の石垣からは人形の形をした石(石人形)がとれるようになりました。実は、その石人形は、姉妹の化身であるといわれています。