杵築城 Kitsuki Castle
「その地形から臥牛城といわれる」
瀬戸内海に突き出た半島を利用した平山城。自然の地形を上手に利用しています。鎌倉時代に木付氏が築城以来、城下町として栄え、現在でもその面影がみられる街並みをしています。杵築城は、その地形から別名を臥牛城ともいいます。
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 大分県杵築市杵築16-1 |
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交通 | JR杵築駅からバスで10分 杵築バスターミナルから徒歩12分 |
リンク |
別名 | 木付城、勝山城、臥牛城 |
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城郭構造 | 連郭式平山城 |
天守 | 不明(1591年 築) 独立式望楼型3層3階(1970年 RC造 模擬) |
築城主 | 木付頼直 |
築城年 | 明徳4年(1393年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 木付氏、前田氏、杉原氏、細川氏、小笠原氏、松平氏 |
文化財指定等 | なし |
撮影日
2003-02-08
[ 登り口 ]
現在の杵築城へは、麓から歩道を歩いて登っていきます。最初に杵築城に入城したのは、木付氏の4代目、木付頼直の時(応永元年(1394))です。文禄2年(1593)の木付氏の滅亡後には、様々な藩主が交代しましたが、正保2年(1645)の松平英親入城以来、松平氏が明治維新まで治めました。現在の杵築城天守閣は、昭和45年に当時の天主台跡に建設されました。海に突き出た半島を利用してつくられた平山城です。
[ 遠景 ]
杵築城は、別名「木付城」「勝山城」「臥牛城」と呼ばれています。これは、天正15年(1587)、木付氏第16代の鎮直の時代に島津義弘の攻撃を撃退したことに由来します。また、「臥牛城」のいわれは、このように、地形が牛の臥した姿に似ていることによるものです。現在も使用されている「杵築」の文字は、正徳2年(1712)に江戸幕府第六代将軍、徳川家宣の下賜の朱印状に書かれた事に始まります。