中津城 Nakatasu Castle
「軍師官兵衛が築いた城、日本三水城」
豊臣秀吉の軍師、黒田官兵衛如水によって築城されました。如水は秀吉をして次の天下人になりうべき素質をもった人物といわれていました。また、この城は日本三水城のひとつです。他に、高松城(香川県高松市)、今治城(愛媛県今治市)。
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 大分県中津市二ノ丁本丸 |
---|---|
交通 | JR中津駅下車 徒歩15分 |
公式サイト Official Site |
別名 | 中津川城 扇城 小犬丸城 丸山城 |
---|---|
城郭構造 | 梯郭式平城 |
天守 | 不明 独立式望楼型5層5階(1964年 RC造 模擬) |
築城主 | 黒田官兵衛孝高 |
築城年 | 天正16年(1588年) |
主な改修者 | 細川忠興 |
主な城主 | 黒田氏 細川氏 小笠原氏 奥平氏 |
文化財指定等 | なし |
撮影日
2003-02-08
[ 中津城 ]
現在の城は、昭和39年(1964)に再建されたものです。五層の天守閣と二層の櫓からなります。
[ 中津城の石垣 ]
右側は黒田孝高(如水)時代の石垣です。かれは、大規模な築城に取りかかりましたが、度重なる戦などのため、なかなか工事もはかどらないまま慶長5年(1600)年、中津を去りました。その後、細川忠興が入城しましたが、左側の石垣は、その時代のものです。両時代の石垣ともに花崗岩が多く使われています。その後、小倉城に彼は居城を移しましたが、元和7年(1621)、隠居の後、再び中津城に入り、城下町の整備を行いました。
[ 天守閣 ]
中津城天守閣は昭和39年(1964)に再建されました。
[ 奥平神社 ]
中津城内にありました。奥平家は村上天皇を祖とします。もとは関東の出ですが、戦国時代に三河(愛知県)にうつり、長篠城主となりました。天正3年(1575)の長篠の戦いでは、武田勝頼の大軍を長篠城で28日間籠城して食い止め、織田・徳川軍の鉄砲隊の活躍を得て大勝利を収める原動力となりました。
この軍功によって、徳川家康の長男を娶った奥平信昌は、江戸幕府では親藩となりました。享保2年(1717)、奥平正成が中津に入城後は、明治維新に至るまで奥平家が中津城主でした。