広島城 Hiroshima Castle
[ 全体図 ( Map ) ]
輪郭式の縄張とのことですが、二の丸と本丸との関係だけを見ると梯郭式だと思います。いずれにせよ、防御に適したお城というより、城主の権力の誇示といった意味合いが強いように思います。さすが中国地方の覇者、毛利氏の居城です。
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 広島県広島市中区基町21−1 |
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交通 | JR広島駅下車 |
URL | 広島城ホームページ |
別名 | 鯉城、在間城、当麻城 |
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城郭構造 | 輪郭式平城 |
天守 | 複合連結式望楼型5重5階(1599年・非現存) 外観復元(SRC造・1958年再) |
築城主 | 毛利輝元 |
築城年 | 1589年(天正17年) |
主な改修者 | 福島正則 |
主な城主 | 毛利氏、福島氏、浅野氏 |
文化財指定等 | 日本100名城(73番) 国指定史跡 |
撮影日
2012-04-15
2008-03-23
2006-03-19
2002-02-09
2001-11-25
[ 広島城 Hiroshima-jo ( Hiroshima Castle ) ]
築城者 毛利輝元 築城年 天正19年(1591) 戦国時代末期、中国地方の殆どを領有していた毛利輝元は、それまで本拠としていた安芸の山間部の吉田では、新しい時代に対応できないと感じ、海陸の接点である広島に城を築きました。その後は福島氏、浅野氏の居城となって明治維新をむかえました。昭和6年には、天守閣は国宝に指定されましたが、同20年、原爆のために全壊しました。
[ 二の丸櫓 Nino-Maru ( Turret ) ]
左から平櫓・多門櫓・太鼓櫓。広島城二の丸は、出撃の拠点である馬出しの機能を持ち、本丸の正面を守る役割を果たしていました。平成6年に復元されました。
[ 太鼓櫓 Taiko Yagura ( Drum Turret ) ]
再建された太鼓櫓は、現在、中部を見学できるようになっています。中部は、浅野氏ゆかりの史跡や広島の歴史を学習できるようになっています。
[ 暗渠跡 Ankyo ( site of culvert ) ]
この石組みは、かつて外堀と内堀とを結んでいた暗渠(あんきょ=地下水路)遺構の一部です。堀の水量の調節を行なった水路と考えられています。昭和57年9月に、地下道の建設中に発見されました。
[ 広島護国神社 Hiroshima Gokoku-Jinja ( Gokoku-jinja Shrine ) ]
広島城内には護国神社があります。明治元年(1868)、戊辰戦争の戦死者を祀るために建設されました。当時は「水草霊社」と呼ばれていました。その後、明治8年に「官祭招魂社」と改称されたのを経て、昭和14年に現在の名称になりました。
[ 広島大本営跡 Daihonnei-Ato ( Site of the Imperial Headquarters in Hiroshima ) ]
明治27年(1894)の日清戦争後、それまで、山陽鉄道が開通していたことや宇品港を擁するといった諸条件によって、同年広島市に大本営がうつされました。ここには当時第五師団司令部の建物があり、そこが明治天皇の行在所とされました。その後も、広島大本営跡として保存されていましたが、原爆によって建物は倒壊し、今は礎石のみが残されるにとどまっています。
[ 天守閣 ( Donjon ) ]
高さ39メートル。天守台からの高さは27メートル。広島城の天守は、五重の大天守とその南と東に三重の小天守を従えた連立式天守でした。これほどまでの壮大な構成は、関ヶ原の合戦以前では類例がなく、天下無双のものであったといわれています。昭和9年に国宝に指定されましたが、原爆で倒壊。昭和33年に大天守のみの復元となりましたが、かつての壮麗さを再現しています。