長浜城 Nagahama Castle
「長浜の長は信長の長、秀吉命名!」
長浜はもとは今浜と呼ばれていましたが、姉川の合戦の功により湖北三郡を与えられた織田信長の家臣、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、地名を長浜に改め、ここに城下町を築きました。
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 滋賀県長浜市公園町10-1 |
---|---|
交通 | JR長浜駅下車すぐ |
リンク | 長浜城歴史博物館 |
別名 | 今浜城 |
---|---|
城郭構造 | 平城 |
天守 | 不明 独立式望楼型3重5階(鉄筋コンクリート造) 模擬天守 昭和58年(1983) |
築城主 | 羽柴秀吉 |
築城年 | 天正元年(1573) |
主な改修者 | 伊部町組(現在の元浜町) 大工 藤岡一門 |
主な城主 | 羽柴氏 山内氏 内藤氏 羽柴秀吉 山内一豊 内藤信成 |
文化財指定等 | 長浜市指定文化財 |
撮影日
2006-12-27
2002-08-09
[ 長浜城 Nagahama-jo ( Nagahama Castle ) ]
建物や石垣は彦根城の築城に伴ってその建築資材に使用されました。その天秤櫓や三重の隅櫓は長浜城の遺構と考えられています。現在の長浜城は、昭和58年に再興され、市立長浜歴史博物館になっています。二層の大屋根に望楼を乗せた初期天守の様式で、秀吉時代の長浜城を想定して建築されています。
[ 太閤井址 ]
長浜城周辺は豊公園とよばれる公園として整備されています。その公園内にあった石碑です。天守閣からは琵琶湖が一望できますが、この石碑も琵琶湖畔にありました。
[ 領境石碑 ]
秀吉統治下の長浜は楽市・楽座が施行され、その制度は江戸時代も引き続き行なわれていましたので、他地域と区別するための境界を明確にする必要がありました。
この石碑には「これより東 長浜領・これより南 長浜領」と書いてありましたので、もとは長浜の西北隅に立っていたと思われます。