唐津城 Karatsu Castle
「模擬天守の中では傑作の部類に入ると思う」
中国(唐)への最短の港(津)。秀吉の朝鮮出兵の際、前線基地になった肥前名護屋城から近く、築城の際はその廃材を利用。海に面した美しい城。東西の浜を両翼に見立てて、遠くから見ると鶴が羽を広げたさまに見えるとか。
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 佐賀県唐津市東城内8-1 |
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交通 | JR唐津駅より車で7分 |
URL | 公益財団法人 唐津市文化事業団 |
別名 | 舞鶴城 |
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城郭構造 | 連郭式平城 |
天守 | 不明 模擬天守 複合式望楼型5層5階地下1階(1966年 RC造模擬) |
築城主 | 寺沢広高 |
築城年 | 慶長13年(1608) |
主な改修者 | |
主な城主 | 寺沢氏、土井氏、水野氏、小笠原氏 |
文化財指定等 | なし |
撮影日
2002-01-14
[ 唐津城 Karatsu-jo ( Karatsu Castle ) ]
築城者 寺沢広高
(慶長13年・1608年)中国(唐)へ渡る最短の港(津)である交通の要地に寺沢志摩守広高が7年の歳月をかけて築城しました。築城にあたっては、肥前名護屋城の解体資材を用いたといわれています。寺沢氏の後は、大久保氏、松平氏、土井氏そして天保の改革で有名な水野忠邦が藩主を務めた水野氏の時代を経て、次の小笠原氏の時に明治維新を迎えました。
[ 模擬天守(唐津城) ]
現在の天守閣は、寺沢氏時代の天守台に慶長様式で再建されたもので、昭和41年10月に完成しました。5層5階(地下1階)本瓦葺。本丸跡は現在舞鶴公園として開放され、藩主の敷地は高校敷地になっています。
[ 城下絵図 ]
天守閣がある本丸を中心として鶴が羽を広げたような形になっていることから舞鶴城という別名が付いたといわれています。城は本丸・二の丸・三の丸・外曲輪(そとくるわ)に分かれており、本丸には天守台、二の丸には藩主の住居と藩庁、三の丸には藩士の館、外曲輪には町人の居住地と町奉行所がそれぞれ置かれていました。