安土城 Azuchi Castle
「信長の居城、僅か3年で焼失した幻の城でもある」
織田信長が天下統一の拠点として築いた城の跡です。この城は完成後わずか3年で焼失し、その後は再建されずに現在に至っています。しかし、天守指図という天守閣の詳細な設計図が現存していたことで、詳しいことが分かっています。近くの博物館には天守閣の5・6階部分が実物大で再建された模型が展示されています。
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 |
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交通 | JR琵琶湖線・安土駅から徒歩25分 |
リンク | 滋賀県立安土城考古博物館 http://azuchi-museum.or.jp |
別名 | なし |
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城郭構造 | 梯郭式平山城 |
天守 | 望楼型地上6階地下1階(1579年・非現存) |
築城主 | 織田信長 |
築城年 | 天正4年(1576) |
主な改修者 | 羽柴秀吉 |
主な城主 | 織田氏、明智氏 |
文化財指定等 | 国特別史跡
日本100名城(51番) |
撮影日
2009-03-15
2006-05-01
2002-08-09
[ 大手道 ]
安土城を特徴づける道です。天守閣の方向へまっすぐにのびています。これだけでも「お城=防御のための要塞」という常識が見事に覆されるのが分かります。信長は、安土城を初めから防御のために建築したのではないということです。防御のためであるなら、天守閣までは細くて入り組んだ枡形の道を設けるはずですから。信長の考えに驚かされます。
[ 大手道跡の石仏 ]
大手道付近には写真のように石仏を材料とした石が多数存在します。石材が不足していたために転用したものと考えられています。神や仏をも恐れなかった信長らしいとでもいえましょうが、ここまで徹底しているとは。驚きです。
[ 伝羽柴秀吉邸跡 ]
ここは、信長の家臣だった羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の邸跡です。大手道に面していて道をはさんで向かい側には、前田利家邸があったと考えられています。この羽柴秀吉邸は、上下二段の郭(くるわ)に分かれています。主人は普段上段にいて、下段には、厩などがあったと考えられています。また、遺構等が発見されていますので、下段の入口には立派な櫓門があったと考えられています。
[ 伝前田利家邸跡 ]
向かい側にある羽柴秀吉邸と同様に大手道の入口という重要な位置にあります。16世紀の武家屋敷の遺構は全国的にも非常に珍しいそうです。
[ 大手道2 ]
大手道は、ここから折れ曲がっています。いよいよ安土城の中枢へと入っていくわけです。写真正面付近は徳川家康の邸があったといわれているところです。
[ 黒金門跡 ]
武井夕庵・織田信忠邸跡を左に見て、さらに登っていくと森蘭丸邸跡があります。そのすぐそばに黒金門がありました。この門をくぐるといよいよ安土城の中枢部分です。天守閣が焼失した時、この門周辺も共に焼失したと考えられ、焼けた石垣や礎石がみられます。最近の発掘調査で、この門周辺の建物は多層的に結合していた可能性がでてきたそうです。ここから天守閣へ通じる通路には覆いかぶさるように建物が存在していたかも知れません。
[ 二の丸へ ]
黒金門をくぐって、正面の本丸跡へ向かう前に左に折れ、二の丸へ先に向かいます。
[ 織田信長公本廟 ]
現在の二の丸(西の丸)には、織田信長の廟があります。1582年の本能寺の変で家臣の明智光秀の謀叛によって天下統一を目前に最期をとげました。最後の言葉「是非におよばず」。(しょうがない)
[ 本丸跡 ]
本丸へ向かう際の正門跡です。創建時には、渡し櫓をのせ、鉄板を貼り付けた重厚で立派な門扉があったので、このような名前が付けられていました。
[ 天主台の石垣 ]
天主は安土城竣工後わずか三年で焼失しました。その後は長い間そのままでしたが、若干の補強が発掘時になされた以外は、現在でも創建当時の石垣が存在しています。
[ 天主閣跡 ]
この階段を登ったところが天主閣跡です。信長と同じところを歩いていきます。
[ 天主閣の礎石 ]
安土城天主閣は詳細な記録が残っており、これらの礎石の上には金箔装飾を施した瓦や絵画装飾で彩られ、内部に吹抜けを持つ五層六階の巨大建築物が存在していました。
[ 織田信長 ]
宣教師が描いたとされる織田信長の肖像画。最も実際の顔に近いとされています。安土城天守「信長の館」に掲示されていたものです。
[ 天守最上階 ]
最上階(六階)の外観は金箔10万枚を使用した金閣をもほうふつとさせるものとなっています。また屋根には金箔を施した鯱(しゃちほこ)があります。
[ 天守最上階 ]
最上階の内部は、金箔や漆塗りのきれいなものでした。当時、信長が狩野永徳に描かせた金碧障画図などが飾られています。
[ 天守五階 ]
近年、加賀藩の御抱大工に伝わる「天守(主)指図」という史料が発見されました。これは、安土城天守の詳細な設計図でした。これをもとに、1992年の「スペイン・セビリア万国博覧会」の日本館のメイン展示として原寸大の安土城天守五・六階部分が復元されました。五階部分は仏教の世界観による八角形になっています。