2018-01-17 2018-01-17
高山右近(たかやま うこん)
Ukon TAKAYAMA:(1553 - 1615)福者、キリシタン大名 Don Justo Takayama
高山右近:三好長慶の家臣、松永久秀の家来、高山友照の嫡男として生まれました。キリシタン大名で、洗礼名は「ユスト(正義の人)」。その後、荒木村重のもとで摂津国高槻城主となり、領内のキリスト教布教に努めました。
荒木村重が反乱をおこして織田信長に滅ぼされてしまった後は、信長や豊臣秀吉に仕えていましたが、秀吉のキリシタン弾圧政策に対して、地位と財産を捨てて信仰を守る道を選びました。その後は、小西行長や前田利家、利長父子の庇護を受けて暮らしていましたが、慶長19年(1614)のキリシタン追放令を受けて、フィリピンのマニラに追放され、その地で没しました。利休七哲の一人でもあります。
追記
日本のカトリック教会では、2016年最も大きなの出来事のひとつとなったのが、ユスト高山右近の列福でしょう。2016年6月23日、教皇フランシスコの認可によって福者の列に加えられました。日本では、2017年2月7日に大阪城ホールで盛大な列福式が執り行われました。
【基本データ】
名前 | 高山右近( たかやま うこん ) |
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生没年 | 天文22年 - 慶長20年 1月6日 ( 1553 - Jan.6,1615 ) |
別名等 | 通称:彦五郎、右近大夫、右近允、右近助 諱:友祥、長房、重友 霊名:ユスト(ジュスト) |
生誕地 |
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死没地 | フィリピン、マニラ |
戒名 | |
官位 | 従五位下・大蔵少輔 |
墓所 | |
家族 (主な人物) |
父:高山友照 母:(霊名)マリア 兄弟:太郎右衛門 妻:高山妙(霊名:ジュスタ、摂津国余の城主の娘) |
コメント | キリシタン大名 福者(カトリックにおける称号のひとつ) 利休七哲のひとり |
【生涯】
天文22年(1553) |
0歳:三好長慶家臣、高山友照の嫡男として誕生 |
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永禄 6年(1563) | 10歳:キリスト教の洗礼を受ける 洗礼名は「ジュスト」 |
元亀 4年(1573) |
20歳:高槻城主、和田惟長らとの乱闘にて負傷 首を半分ほど切断するような深手を負ったが、奇跡的に回復 |
天正 6年(1578) | 25歳:荒木村重が謀反 荒木村重が織田信長に対して謀反をおこした。荒木村重の家来であったが、謀反には参加せず、織田方に加勢。高槻城主として4万石を安堵された。 |
天正10年(1582) | 29歳:本能寺の変 織田家が滅びた後は、羽柴秀吉の家臣となる |
天正13年(1585) | 33歳:バテレン追放令 右近は信仰を守ることの引き換えに、それまでの地位や財産をすべて放棄した。その後は、小西行長、前田利家らの庇護を受けて暮らしていく。 ・前田家の客将として政治や軍事に従事。高岡城(富山県高岡市)の縄張は右近が担当したといわれる。 |
慶長19年 (1614) |
62歳:キリシタン国外追放令 徳川家康によってキリシタン国外追放令がだされ、加賀を離れる。国外へと追放されるなが、マニラへ。 |
慶長20年(1615) | 63歳:死去 マニラ到着から40日後、病没 |
< 049 勝道 ¦ 051 野口英世 >