シリーズ > 歴史人物 > 010 桂 小五郎

2018-08-28 2019-11-11

桂 小五郎(かつら こごろう)

Kogoro KATSURA:(1833 - 1877)幕末維新の英雄

桂小五郎:桂小五郎:幕末・明治維新の政治家。長州出身。後に木戸孝允。「情の西郷」「意の大久保」と並んで「知の木戸」と呼ばれた明治維新の三傑のひとり。

【基本データ】

名前

桂 小五郎( かつら こごろう )

木戸孝允( きど たかよし )

生没年

天保4年6月26日 - 明治10年 5月26日

( Aug.11,1833 - May.26,1877 )

改名

姓:和田→桂→木戸

和田小五郎→桂小五郎→木戸貫治→木戸準一郎→木戸孝允

雅号:松菊

別名

 

生誕地

長門国萩城下呉服町

(現:山口県萩市呉服町)

死没地

京都

現:京都府京都市

戒名  
官位

贈従一位

勲一等旭日大綬章

墓所

京都霊山護国神社

木戸神社(山口県山口市糸米)

家族

(主な人物)

父:和田昌景(長州藩 藩医)

養父:桂九郎兵衛孝古

妻:木戸松子(元芸妓 幾松)

【生涯】

天保4年(1833)長州藩萩城下の藩医和田昌景の子として生まれました。姉の婿養子に医者の跡継ぎが来たため、小五郎は桂九郎兵衛という百五十石取りの中士の家へ養子として入りました。

その後、松下村塾で吉田松陰のもとで学び頭角を現してきた小五郎は、江戸へ出て斎藤弥九郎の門で剣を習い、神道無念流の免許皆伝となりました。このことからも分かるように相当の剣の達人であったといえます。

また、蘭学をはじめ、西洋の砲術や兵学など多くのことを勉強しました。

幕末には池田屋事件や禁門の変による長州の危機を乗りきり、土佐の坂本龍馬の仲介で薩摩の西郷隆盛と薩長同盟を結び、倒幕へ導きました。ただ、西郷とは生涯仲が悪かったそうです。

明治維新には五箇条の御誓文の修正や廃藩置県に尽力し、参議となり、岩倉使節団にも参加しました。

明治10年(1877)に最後にして最大の士族の反乱(西南戦争)が西郷隆盛によっておこされた最中、京都において「西郷め、いいかげんにしないか」という言葉を残して他界しました。

 

 

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桂小五郎像

長州藩邸跡(現:京都ホテルオークラ)

地下鉄東西線、京都市役所前(河原町御池)すぐ。太刀を持ってますので、幕末のころの姿でしょう。ここから南に少し下がったところに池田屋跡があります。池田屋事件で新選組の御用改めが入る直前、桂小五郎は池田屋から藩邸へ戻っています。もし、近藤勇や沖田総司など、新選組の手練れと池田屋でまみえていたら、歴史は大きく変わってたでしょうね。

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