最終更新日: 2018-04-18 

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東大寺 Todai-ji Temple

「大仏さまで有名な日本を代表するお寺のひとつ」

東大寺大仏殿 2008-12-06 

奈良の大仏と言えばこのお寺。教科書に出てくるお寺の中でも、法隆寺・金閣寺・銀閣寺と並んで、最も有名なお寺のひとつといえます。奈良に観光に行った人は必ずといっていいほど立ち寄る場所でしょう。大仏殿は世界最大の木造建造物です。

データDeta /アクセスAccess

山号  
寺号 東大寺
別称等 金光明四天王護国之寺
所在地 Address 〒630-8211 奈良県奈良市雑司町406−1
宗派 華厳宗
寺格 大本山
本尊 盧舎那仏(奈良の大仏)
創建 Since

神亀5年 / 728『東大寺要録』

天平5年 / 733『続日本紀』

開山 良弁(初代別当)
開基 聖武天皇
札所等

南都七大寺

法然上人二十五霊跡11番(指図堂)

神仏霊場巡拝の道14番

大和北部八十八ヶ所霊場 第12番(真言院)

文化財等

国宝建築

金堂(大仏殿)・南大門・本坊経庫・開山堂・鐘楼・法華堂(三月堂)・二月堂・転害門

URL 華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ

 

東大寺 案内

南大門

南大門はそのお寺の正門であることが普通ですが、東大寺の南大門も例外なく現在も正門として存在します。この門は五間の幅があります。治承4年(1180)の平重衡による兵火のため、東大寺の伽藍が焼失した後、その復興造営のひとつとして建てられました。大勧進の職に就いて復興造営の総指揮を執った俊乗坊重源上人らによって、正治元年(1199)に上棟、数年後に完成しました。国宝。

 

金剛力士像1

南大門の両側には木造の金剛力士像が安置されています。これは阿形(あぎょう)の金剛力士像で口を開けているのが分かります。檜をそれぞれパーツごとに彫り上げ、最後にパズルのように組み合わせてつくる寄木造りという方法で造り上げていますので、一度に多くの人が制作に携わることができ、また木造でありながら巨大な彫刻をつくることができます。実際、運慶・快慶ら20名ほどの慶派の仏師たちが建仁3年にわずか69日間で完成させたといわれています。

 

金剛力士像2

吽形(うんぎょう)の金剛力士像。反対側とちがって口を閉ざしています。二つ合わせて「阿吽(あうん)の呼吸」というわけです。尚、東大寺の金剛力士像は他のお寺とちがって、阿形と吽形の像が逆になっているとの事です。

 

鏡池

南大門から中門へ向かう道の脇にあります。ここには天然記念物の馬魚がいます。伝承によると、延元元年(1336)に後醍醐天皇が吉野に逃れる際、天皇が乗っていた馬が嘶く(いななく)ことで追っ手から所在がばれるのを恐れたため、馬の首を切り落としたとき、その首が転がって池に落ちて馬魚になったとの事です。その時の池は内山永久寺というところの本堂池で、後に鏡池に放されました。

 

中門

この門は本尊の盧遮那仏(奈良の大仏さん)が安置されている金堂(大仏殿)への正門です。この門をくぐると周りは回廊で囲まれており、東大寺の中枢になっていることが分かります。国指定重要文化財。

 

八角灯籠

金堂(大仏殿)の前にあるこの八角灯籠は幾度の戦火にも耐え、創建当時から変わらないものです。四面には音声菩薩(おんじょうぼさつ)が、他の四面には獅子が浮き彫りにされています。国宝。

 

金堂

金堂とはそのお寺の本尊が安置されている場所です。従ってここには「奈良の大仏」がありますので大仏殿とよばれています。大仏造立の詔を発した8世紀の聖武天皇の時代から数えて三代目の大仏殿です。最初の建物は治承4年(1180)に、次に再建された建物は永禄10年(1567)にそれぞれ兵火によって焼失しました。現在の建物は江戸時代の宝永6年(1709)に公慶上人によって再建されました。世界最大の木造建築物として名高いですが、それでも創建時の初代からすると三分の二の大きさに縮小されているとの事です。明治39年(1906)から6年かけて、更に昭和47年(1972)から8年かけてそれぞれ大修理が行なわれました。

 

奈良の大仏

正式には、毘盧遮那仏といいます。華厳宗の本尊です。天平15年(743)に聖武天皇の詔によってつくられました。延べ260万人が動員され、9年後の天平勝宝4年(752)に完成しました。国宝。

 

広目天

大仏殿内の西北隅に安置されています。手に持っているのは筆と経巻です。江戸時代につくられた木造の仏像です。広目天とは四天王のひとりです。四天王とは持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)を指します。広目天は西方を守る神とされています。

 

多聞天

広目天と同じく、江戸時代につくられた木造の仏像です。多聞天は北方を守護する四天王です。左手に矛、右手に仏塔を持っています。

 

二月堂

毎年旧暦の2月に修二会が行われることからこの名がつきました。もともとの建物は寛文7年(1667)の修二会中に堂内から出火し、焼失しましたが、その2年後に再建されました。

 

三月堂

天平年間(8世紀)の創建と伝えられている東大寺でも最古の建物です。毎年3月に法華会が行われることから三月堂とか法華堂と呼ばれるようになりましたが、本尊が不空羂索観音観音像であることからもともとは羂索堂とよばれていました。他にも日光・月光菩薩像など天平文化を代表する仏像が安置されています。後方の正堂部分に対し、前方の礼堂部分は正治元年(1199)に重源上人によって増築されており、建築年代が違うため、微妙に外観の色がちがいます。国宝。

 

閼伽井屋

二月堂で行われる修二会は別名を「お水取り」といいますが、本行のときにこの中にある井戸から本尊の観世音菩薩にお供えする水を汲むことからそのように言われています。その水は、閼伽(あか)といわれるので閼伽井というわけです。

 

鐘楼

栄西が鎌倉時代(13世紀)に再建したものです。東大寺創建当時から残り、奈良太郎の愛称で親しまれている梵鐘とともに国宝に指定されています。尚、この梵鐘は日本三名鐘に数えられています。

< 016 富貴寺018 鞍馬寺 >

撮影日 2006-02-19
2004-02-05
2001-08-14

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