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方広寺 Hoko-ji Temple

撮影日
2006-02-15
2002-08-05

 

「国家安康の鐘は現存している」

 

本堂

方広寺は豊臣氏の氏寺としてかつて隆盛を極めたお寺です。最盛期には、付近にある有名な三十三間堂をも寺域に含めていました。また、1588年(天正16年)の刀狩の際も、この方広寺大仏殿の釘に作り直すためという口実で行ったほどでした。しかし、現在は小堂と国家安康の鐘(重文)が残るのみになりました。方広寺といえば、有名な『方広寺鐘銘事件』が思い出されます。

 

鐘楼

方広寺鐘銘事件のきっかけとなった「国家安康の鐘」があります。

 

方広寺大仏殿跡

天正13年(1585)、関白に就任した豊臣秀吉がその翌年から奈良の東大寺にならって大仏の造立を始めました。文禄4年(1595)に大仏殿が完成した時に、高さ18mの大仏が安置されましたこの大仏は寛政10年(1798)に落雷で炎上するまで「京の大仏つぁん」として都の人々に親しまれていました。現在、方広寺から東に「正面通」という通りが伸びていますが、この正面とは方広寺の大仏の正面に面していたことから名付けられました。

 

< 008 総見寺 ¦ 010 平等院 >

データDeta /アクセスAccess

山号  
寺号 方広寺
別称等 大仏 大仏殿
所在地 Address 京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2
宗派 天台宗
寺格  
本尊 盧遮那仏
創建 Since 文禄4年(1595)
開山 蒲庵 古渓(ほあん こけい 1532 - 1597.03.05 古渓宗陳(こけいそうちん)とも)
開基 豊臣秀吉
札所等  
文化財等 (国指定重要文化財)梵鐘(重要文化財)
(史跡)大仏殿跡及び石塁・石塔
URL  

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