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5.日見峠越えA

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(13)日見峠降り路1

休憩も終わり、再び出発です。今度は下りになります。のぼりと違って、山道が続いています。昔のままのところといえそうです。

下り坂の途中には、
【日見峠関所跡】がありました。


明治新道
(14)明治新道

日見峠を下ってきたところです。実は、この道は明治時代になって造られた切り通しです。つまり、長崎街道を歩くために、この道を避け、わざと遠回りして歩いてきたことになります。

(15)日見峠降り路2


道がつづら折りになっています。
昼ごはんも近く、お腹がすいてくる時間です。先を急ぎます。
日見峠の山から湧き出る水を汲んでいます。地下水ですので、日射の影響を受けず、真夏でも冷たかったです。
日見峠下り路の途中に、当時からあったといわれる【馬頭観音】です。人身馬頭の姿をしています。


日見峠からの下り坂は、いまだに往時の長崎街道の名残が感じられるところでした。

竹やぶ、森、林、つづら坂、けものみち・・・普段はこんなにも自然あふれる道を歩く機会はないでしょう。

ずっと下りだったということもあり、爽快に自然を満喫しながら歩くことができました。



山道同然の道を下っていきます。



暗い山道をしばらく歩くと、急に眼下に明るい景色が開けてきました。
正面は旧長崎街道日見宿、現在の長崎市宿町付近の町並みです。
正面の山は矢上普賢岳です。
天気がよければ、写真右奥の方向に雲仙岳が見えるはずです。

【日見峠関所】
(ひみとうげせきしょ)番所・関所とは、昔、国内の安全を守るために、要路や国境に設けて、外敵の侵入に備え、また通行人や通過物の取調べを行っていたところ。(生徒のレポートをもとに作成)



【馬頭観音】
(ばとうかんのん)六観音のひとつ。馬が牧草を食べるように、煩悩や悪心を退治することを誓った観音。人身馬頭の姿などがある。後世になって、馬の安全を祈願したり、道ばたに祀って、道祖神のように信仰されるようになった。(生徒のレポートをもとに作成)

やっと昼食です

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