
シーボルト記念館 |
(4)シーボルト記念館見学
【シーボルト記念館】へ。奥の洋館造りの建物がそうです。隣接して【シーボルト宅跡】があります。長崎街道の本線からすこし奥へとそれて、住宅地をぬけていったところにありました。
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入館手続きを済ませ、
展示物を見学します。 |
記念館内では職員の方が展示物の説明をしてくださいました。予め【シーボルト】については下調べをしておきましたので、何も分からないで見学するよりは、分かりやすかったのではないでしょうか。
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(5)シーボルト宅跡見学 |

【シーボルト宅跡】では、シーボルト晩年の胸像が迎えてくれました。
実は、建物がまだ残っていると思っていた生徒も多かったようです。
しかし、実際には建物があったと思われる跡のみで、少しびっくり!? |
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【シーボルト宅跡】・【鳴滝塾跡】では、発掘の状況などの説明を受けました。
「ここに歴史的人物の住まいがあったのか。」
「シーボルトはここで、どのような日常を送っていたのだろうか。」
皆、江戸時代の長崎に思いを馳せました。
職員の方の親切な応対には非常に感謝しました。シーボルトのことや長崎との関わりが良く理解できました。
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旅日記(1)「シーボルト宅跡見学」
「午前中で一番良かった場所はやっぱりシーボルト記念館です。生まれてから死ぬまでのことが良く分かりました。」
「シーボルト記念館では、出島やシーボルトも歩いた長崎街道のことなどをおしえてもらいました。」
「シーボルト記念館では、調べたことを詳しく教えてもらったから分かりやすかった。ああやって、自分で調べたり、人が調べたのを読んで、見学に行くと、わりと分かりやすいんだなと思った。」
「シーボルト記念館では、シーボルトの生涯のことや、江戸時代の医学のことが分かって、歴史の勉強をがんばろうと思いました。」
「シーボルト記念館には、私たちが調べたフェートン号事件の当時の資料がありました。」
「シーボルトのことは深くは知らなかったので、勉強できてよかった。機会があったらもう一度行きたい。」
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【シーボルト】
(しーぼると)ドイツに生まれ、1823年オランダ商館の医者として来日。翌年、長崎郊外の鳴滝に塾を開く。1828年、国外に持ち出すことを禁じられていた地図などを密かに持ち出そうとしたことがが発見されて、国外追放を命じられた。これをシーボルト事件という。翌年、長崎を去る。オランダに帰ってから日本についての本を出版し、再び長崎にやってきて、鳴滝の旧塾の跡に住む。江戸に上り、幕府の顧問になったが、職をとかれ、長崎に帰り、オランダへ去る。4年後、70歳で死去。(1796〜1866)
(生徒のレポートをもとに作成)
【シーボルト記念館】
(しーぼるときねんかん)平成元年10月1日、日本の近代化に貢献したシーボルトを顕彰するために長崎市が設置。三階建ての建物の外観は、オランダ・ライデン市にあるシーボルトの旧宅を模してつくられたものです。(所在地:長崎県長崎市鳴滝2丁目7番40号) |