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4.日見峠越え@

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(10)日見峠登り路1

かつて「西の箱根」とよばれていた【日見峠】へと登っていきます。しかし、実はこの登りはあまり険しくなく、狭くて急な道は長くは続いていませんでした。ちょっぴり拍子抜けです。生徒たちも全然疲れていないとの事。疲れを体験して昔の人の苦労を知ってもらうことをもくろんでいたのですが。思惑通り行かずに残念!やはり、西の箱根とは少し言い過ぎでしょう?


休憩しながら
ゆっくりと登っていきます。
無理のないペースを保っています。

登り口の途中にあった
新茶屋之跡でも休んでいます。

(11)日見峠登り路2

現在でも趣味や健康、あるいは我々のように研究?のために長崎街道を歩く人々も多いようで、その人たちが迷わないように道しるべがしてあります。長崎街道の日見峠越えは、現在ではよいトレッキングコースになっているのでしょう。時代が変わり、長崎街道が本来の役割を終えた後でも、人々に親しまれているという証拠です。



長崎街道日見峠路


峠への道と書いてあります


峠の茶屋跡

頂上付近までやってきた事が分かります。
かつての旅人は、この茶屋で休息し、下りに備えたことだったでしょう。

(12)日見峠

いよいよ長崎街道の難所といわれていた日見峠に到着です。そのまた奥には、「御夢想地震神」なる神社がありました。とりあえず登ってみました。
鳥居をくぐったところはこのように木陰になっていて、暑さしのぎに最適でした。ここで一休みすれば、後は下りです。



旅日記(2)「日見峠」


「日見峠が一番きつかったです。昔の人はあんな山道を歩いていたとは、驚きました。」
「長崎街道の日見峠付近はとても険しくて、ただの山道みたいだなと感じました。」
「日見峠ではもうすぐ頂上というところでも、民家や畑がいくつもあったのでびっくりしました。」
「汗をかきながらも頂上に着くととても感動しました。」


眼下にみえる景色を撮影してみました。
険しい山道を登ってきたことが分かります。
麓が見えないほどです。

【日見峠】
(ひみとうげ)長崎を出て、日見宿へ向かう途中にある。かつては西の箱根と呼ばれ、冷水峠とともに、長崎街道の難所のひとつであった。

日見峠を下ります

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