シーボルト宅跡 Site of the Siebold Residence
「邸宅跡、記念館、鳴滝塾跡、国指定史跡。」
シーボルトは鳴滝塾などの私塾を開いて長崎の若者たちに教育を施すなど日本の近代化に貢献しました。また隣接するところには、オランダのシーボルト旧宅を模した記念館があります。
シーボルト記念館 ( Siebold Memorial Museum )
外観はオランダ・ライデン市にあるシーボルト旧宅を模して建てられています。3階建てで1階は玄関ホールとロビー。2階は常設展示室です。ここでは、シーボルトの生涯を6つのコーナーに分けて展示しています。それぞれ「1当時の世界と日本」「2東洋への関心」「3日本研究と医学教育」「4江戸参府前後」「5帰国と再渡来」「6子孫と顕彰」です。3階は企画展示室と収蔵庫です。
所在地 Address | 〒850-0011 長崎県長崎市鳴滝2丁目7-40 |
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交通 | JR長崎駅から路面電車(3番系統 蛍茶屋行 )20分(新中川町電停下車)さらに徒歩7分 |
開館 | |
休館日 | 月曜日(祝日は開館)、12月29日~1月3日 |
公式サイト |
2018-01-29 確認
シーボルト記念館
日本の近代化に貢献したシーボルトを顕彰するために長崎市が設置。平成元年10月に開館しました。入館料100円、小中学生50円で開放されています。この玄関はシーボルトの祖父であるカール・カスパル宅を模しています。
若き日のシーボルト像
若き日のシーボルト像。記念館入口にあります。
シーボルト宅跡(居宅跡)
シーボルトは二度長崎へ来ましたが、第一回目の1823年来日の時に居宅としてこの鳴滝を選び、其扇(楠本滝)と暮らしました。二人には、イネという子どもが生まれました。
シーボルト宅跡(書斎跡)
この書斎跡を含めた一帯は、国指定史跡です。
シーボルト宅跡(倉庫跡)
倉庫跡にはわずかに石組みが残っています。
シーボルト胸像
宅跡の中央には晩年のシーボルトの胸像があります。シーボルトは1796年2月17日、ドイツのバイエルン州ヴュルツブルク市の医学者の家に生まれました。ヴュルツブルク大学時代には、医学をはじめ植物学、動物学、地理学、人種学などさまざまな学問を身につけていました。27歳の時来日しましたが、滞在中は其扇(楠本滝)という女性とともに暮らし、一女(イネ)をもうけました。6年後、幕府から追放処分を受け、帰国しましたが、その間、鳴滝塾を開き日本の若者を教育したりもしました。帰国後は、日本から持ち帰った資料の整理を行い、『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』のいわゆるシーボルト三部作を刊行しました。1845年、ベルリンでヘレーネ・フォン・カーケルンという女性と再婚し、3男2女をもうけました。彼の二度目の来日は、その時生まれた長男のアレクサンダーを伴ってのものでした。2年7ヶ月の滞在でしたが、その間長崎で開業医をしていたイネとも再開しました。帰国4年後にミュンヘンで亡くなりました。
撮影日
2001/10/07
2002/07/21
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 〒850-0011 長崎県長崎市鳴滝2丁目7-40 |
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交通 | JR長崎駅から路面電車(3番系統 蛍茶屋行 )20分(新中川町電停下車)さらに徒歩7分 |
公式サイト |
2018/01/28 現在