亀山社中跡 Kameyama Company
亀山社中跡 Kameyama Shachu ( Kameyama Company, Nagasaki )
亀山社中は、慶応元年(1865)に坂本龍馬らが設立した日本初の会社といわれています。後に、土佐藩直属の海援隊となりました。メンバーには、初代衆議院議長の中島信行や治外法権撤廃に活躍した後の外務大臣である陸奥宗光などがいました。坂本龍馬(1835~1867)は土佐藩の郷士の家に生まれました。貧弱な少年だったといわれていますが、姉に鍛えられてついに北辰一刀流の免許皆伝となる程の剣術の腕前を得ました。幕末には「日本を洗濯いたし候」と志し、神戸海軍操練所や亀山社中の設立、薩長同盟の周旋など多くのことを成し遂げました。
亀山社中跡 Kameyama Shachu ( Kameyama Company, Nagasaki )
記念館入口。以前は無料でしたが、改築されてからは有料となりました。
坂本龍馬之像
坂本龍馬(1835~1867)は土佐藩の郷士の家に生まれました。貧弱な少年だったといわれていますが、姉に鍛えられてついに北辰一刀流の免許皆伝となる程の剣術の腕前を得ました。幕末には「日本を洗濯いたし候」と志し、神戸海軍操練所や亀山社中の設立、薩長同盟の周旋など多くのことを成し遂げました
建物外観
現在の建物は、当時の亀山社中として使われたものの一部も含めて、「亀山社中ば生かす会」という長崎市の市民グループが管理していました。入場無料で開放されていましたが、改築が行われ、長崎市亀山社中記念館としてオープンし、有料となりました。
亀山社中記念館
多くの幕末のころの古写真が展示されています。長崎には日本最初の写真家、上野彦馬が活躍していたように、当時の写真がおおくのこされています。龍馬が映っている数枚の写真も上野彦馬の撮影です。
薩長同盟の裏書き
複製ですが、薩長同盟の仲介をした坂本龍馬は、薩長同盟の締結文書の裏書きにこのような朱書きで文書を残しています。
「表に記入された6カ条は、小松帯刀、西郷吉之助(西郷隆盛)の両氏および老兄(木戸貫治)、龍馬も立ち会って話し合ったもので、少しも相違ない。将来になっても決して変わることがないことは、天地神明の知るところである。」
龍馬のぶーつ像
龍馬における日本初といえば「新婚旅行」が有名ですが、「ブーツ」を履いた最初の日本人とも言われています。これは、亀山社中のすぐそばにあるもので、実際にブーツの中に足を入れて写真などを撮ることができます。舵輪が前にあるのは、亀山社中が船をつかった貿易を生業とする会社(のちに「海援隊」となる)だからでしょう。ブーツを履いて向かう視線の先には長崎の市街地が広がります。
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 〒850-0802 長崎市伊良林2丁目7番24号 |
---|---|
交通 | 市電「諏訪神社前」、「新大工町」または「公会堂前」下車。よくガイドブックには最寄電停は「新大工町」とありますが、「公会堂前」で下車し、眼鏡橋をついでに見るのも良い思います。亀山社中は坂の街長崎の高台にあります。歩くと結構疲れます。また、さらに登った先にある風頭公園には、坂本龍馬像があります。 |
リンク | 長崎市亀山社中記念館 |
文化財指定 | なし |
2017/01/06 現在