(10)峠道での昼食 |

山道での昼食、ピクニック気分です。 |
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長崎街道巡検も3度目になりますが、昼食場所はお寺の境内を借りたり、街道沿いにあった史跡の休憩用のベンチだったりと様々なところでした。今回は、山道の途中でしたが、毎回こうやって食事した経験は、いい思い出として残ります。 |
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(11)大村街道下り |

食事も済んで、再び歩き始めました。
いい景色の中、大村市街地の方向へ山を下っていきます。 |
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山道は、ところどころに分かれ道もあり、迷いがちですが、このように長崎街道を示す道しるべがきちんとあって、それを見ながら歩いていきます。思いのほか、迷うことはありません。 |
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このお墓は、キリシタン大名【大村純忠】の家臣として活躍した【渡辺伝弥九】のものなのだそうです。注意して見ないと素通りしてしまいそうなところにありました。 |
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途中にあった自販機に殺到しています。だいぶん下ってきて、民家も多くなってはきているものの、いまだにふもとは先で、さすがに疲れてきている様子がうかがえます。水筒の水はすでに空っぽの状態。 |
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【大村純忠】
(おおむらすみただ)(1533〜1587)肥前国(長崎県)大村の領主で,最初のキリシタン大名。ポルトガルと貿易することを考え,イエズス会の宣教師の布教をゆるし,1580年には長崎をイエズス会に寄付して教会領にするなど,キリスト教の保護に力をつくした。1582年には,天正少年使節をつかわした。
【渡辺伝弥九】
(わたなべでんやく)渡辺伝弥九は大村純忠とその子大村善前に仕えた。ここは伝弥九が亡くなった場所。天草の志岐孫次郎が謀反を起こした時、伝弥九は善前の命を受け志岐氏を諌めに行ったが聞き入れられず、失意のうちに帰路についたが、この地で深い雪に埋もれ家来、馬とともに亡くなった。 |