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3.鈴田峠越えA

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(7)硯石

【硯石】
(弁慶の足形石)ともいいます。
諫早と大村を分ける境界を示しています。

峠にてひと休み
【硯石】の傍らにあった【鈴田峠】の説明板を読んでいます。

(8)大村街道後半


大村街道も後半へ、ここからは下りが続きます。
道の両脇には、石垣が続いており、昔の様子が偲ばれます。石垣を写真におさめています。この石垣は一段高いところにあり、長い年月を経て浸食が進んでいることが分かりました。
石垣の拡大写真です→

(9)籠立場

鈴田峠を越え、大村側にしばらく歩いた先には【籠立場】がありました。このように、現在は石垣で崖に突き出してつくってある土台だけが残っています。何もない、森の山道に忽然と人間の営みの跡を見るのは何とも不思議です。時の流れを感じさせます。

旅日記3【硯石】
「山道の途中に硯石がありました。硯石は何百年もその場所で昔の人を見てきました。昔の人と同じ光景を見ていると思うと、不思議な感じがします。」

【硯石】

(すずりいし)鈴田峠のちょうど諫早と大村の境界付近にある。この硯石は、別名「弁慶の足形石」ともいい、往時からこの場所で旅人を見守っていました。



【鈴田峠】

(すずたとうげ)(案内板一部抜粋)ここは、大村藩と佐賀藩諫早家領の藩境となった鈴田峠です。長崎へ向かう諸大名や長崎奉行、江戸へ向かうオランダ商館長一行や象がこの道を通りました。江戸参府途中のシーボルトもこの峠で大村藩役人の出迎えを受けたと記録しており、藩境の重要な場所でした。また、藩境に沿って、横に伸びる道沿いには、石を積み上げた塚が点々と残されています。



【籠立場】

(かごたちば)街道を往来する大名たちが、籠から降りて休息を取った場所。街道沿いにいくつも見られる。景色が良いところなどに多いが、現在で写真のように山林に埋もれてしまっているところも多い。

峠道での昼食

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