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 関ヶ原の戦い
(決戦関ヶ原) 決戦関ヶ原 | 裏切り
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再三の要求にこたえず動かなかった西軍、松尾山の小早川秀秋が東軍に寝返りました。戦局は大きく動きます。
■正午ころ

松尾山

 
松尾山ついに動く!

 東西両軍のどちらにとっても小早川秀秋が率いる15000余りの兵力は脅威だったに違いありません。しかし、西軍の一員として関ヶ原に臨んではいたものの家康との内応を約束した身。

 弱冠19歳という年齢からみても果断な武将では到底ありません。戦いがとうに始まり、石田三成の陣から再三の突撃を促す狼煙があげられてもまだどちらにつくべきか迷っていました。東西両軍はなりふりかまわずに小早川秀秋を自軍につけようと様々な好餌をちらつかせていました。


西軍からは、

「秀頼公十五歳に成られる迄は、関白職を秀秋卿に譲り渡すべき事」

 など破格の待遇を約束しています。

 一方、東軍からも、

「御忠節相究め候はば、上方に於いて両国の墨付、秀秋え取り候て進むべく候事」

 などの約束をしていました。つまり、家康は自分に味方したら上方の二カ国を進呈するというのでした。

 突撃の狼煙が出ても動かない小早川隊を見て、西軍の諸隊はあせります。とくに、隣に布陣していた大谷吉継はこのことを早くから察知しており、兵力の一部を小早川秀秋の裏切りに備えていました。

 東軍も内応の約束をなかなか果たさない小早川隊の様子を見てあせりました。家康は焦ったときにでる癖であるつめを噛むしぐさを盛んにしていたといいます。そして、意を決して次のように命令しました。

「秀秋の陣に誘いの鉄砲を撃ちこめてみよ」

 鉄砲を撃ちかけられた小早川秀秋は、いよいよ一刻の猶予もないことを悟り、意を決して突撃命令を下しました。「いずこへ」の問いに対し、

「めざすは大谷刑部の陣なり」

 と下知したのでした。関ヶ原の戦いの帰趨はこの時に決定したといってよいでしょう。

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