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決戦関ヶ原開戦激突動かず裏切り決戦敵中突破東軍の勝利


 関ヶ原の戦い
(決戦関ヶ原) 決戦関ヶ原 | 激突
b  激突
敵味方入り乱れての激戦。特に石田隊は集中攻撃を浴びてそこでの戦闘は激しかったといわれています。地形的にやや優位だったのは西軍でしたが、ほとんど互角のまま戦いは続きます。
■午前8時ころ

岡山(丸山)烽火場


黒田長政
竹中重門陣跡

 
両軍激突

 岡山(丸山)の山頂には、黒田長政と竹中重門の隊が布陣していました。午前8時ころ、開戦の火蓋が切られると、この烽火場から狼煙を上げて戦いが始まったことを東軍の諸隊に知らせ、戦闘を開始することを伝えました。同時に、西軍が陣取る笹尾山と北天満山からも狼煙が上がり、戦いが開始されました。

 大田牛一の記録によると、

「敵味方押合、鉄砲放ち矢さけびの声、天を響かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も暗夜と成り、・・・・」

とあります。

 戦いが始まると、黒田長政隊は5400の兵力で細川忠興隊5100とともに、正面に陣取る笹尾山の石田三成を攻めました。しばらくは、両軍互角で一進一退の攻防だったと伝えられています。

「戦闘開始時の状況」

西軍 石田三成 VS 
東軍 黒田長政・竹中重門・細川忠興・加藤嘉明・田中吉政ほか


西軍 宇喜多秀家 VS 東軍 福島正則


 東軍がほとんどの兵力で戦っているのに対して、西軍は石田隊と宇喜多隊とが戦っているのみにすぎません。南宮山に陣取っている毛利、吉川隊や松尾山の小早川隊などが戦闘に参加しようとしていませんでした。

中でも、笹尾山に布陣した石田三成隊は、黒田、竹中、細川、加藤らの隊と激しい攻防を繰り広げました。戦いの序盤、もっとも激しい戦闘が行われていたところといえるでしょう。

 中でも石田隊は東軍の多くの部隊に攻め込まれ、苦しい戦いを強いられていました。それでも、黒田長政隊や細川忠興隊が笹尾山の石田三成を激しく攻撃しましたが、三成の軍も配下の、島左近や蒲生郷舎らの奮戦で一歩も譲らず、一進一退の攻防がしばらく続きました。
■午前9時ころ

石田三成陣跡


復元された竹矢来

 
島左近被弾

 石田三成隊6000は、三つの部隊に分けられて、それぞれ大将の石田三成、家臣の蒲生郷舎(さといえ)、島左近勝猛が指揮していました。

 島左近は、奮戦したびたび黒田長政隊の敵中深くに攻め込んでいました。それを見た黒田隊の武将、菅六之助率いる鉄砲隊が側面から攻撃、生駒隊、戸川隊らの新手の鉄砲隊も加わって、島隊めがけて一斉に射撃を開始しました。

 これにより島隊は大打撃を受け、バタバタと倒れていきました。島左近自らも被弾、従者に抱えられて柵内に退くことができました。

 こうして崩れかかった石田隊でしたが、三成が陣頭指揮をとり、5挺の大筒で砲撃を行ったためなんとかしのぐことができました。

 島左近は三成が4万石の知行だった時に2万石という破格の禄で召し抱えられたほどの名将でした。実際、次のような言葉がのこされています。

「三成に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城」

 その後の左近の行方ははっきりとしませんが、戦いが終盤に差し掛かった頃、最後の突撃を敢行し、討ち死にしたといわれています。


左から「笹尾山全景」「笹尾山山頂」「石田三成配下、島左近陣跡」
■午前10時ころ

宇喜多秀家陣跡

徳川家康最後の陣跡
(陣場野)

 
宇喜多隊の奮戦・家康本陣の動き

 戦闘が開始されて2時間余り。しかし、戦況は一進一退でどちらが勝つとも知れませんでした。ただ、依然として南宮山の毛利隊、吉川隊や松尾山の小早川隊は動かず、戦闘には参加していたものの消極的で独自の動きを見せる島津隊など、西軍の動きはぎこちないものでした。

 そんな中、宇喜多秀家率いる宇喜多隊17000は正面の福島隊6000と激しく戦っていました。押しては引き、引いては返すといった一進一退の攻防は際限なく続いていました。

 福島正則は個人的に石田三成を非常に嫌っていたといわれています。したがって、正面の宇喜多隊ではなく、石田隊を自ら攻撃し、その首級をあげたかったに違いありません。しかし、17000の宇喜多隊に釘付けになって動けませんでした。

 このように、戦況がこう着しつつあったこの時間、徳川家康率いる本隊30000は、桃配山から前進し、石田隊が陣取る笹尾山の東南、約1キロの地点まで移動させてきました。

 家康が前進してきたのには、桃配山からは戦闘の全容が分かりづらかったのが理由と考えられます。さらに、前進して味方の士気をあげる効果も狙ったことでしょう。

 しかし、南宮山の毛利勢が動きを見せる気配がなかったとはいえ、もし突撃されたら背後を衝かれることになりますし、事前に寝返りを約束した小早川秀秋の大軍がどちらにつくか今だ迷っていた中での前線への移動ですから家康にとっては大きな賭け、三成にとってはチャンス到来といったところでした。

 戦いの帰趨は南宮山の毛利、吉川隊や松尾山の小早川隊がどう動くかによって決まる情勢となってきたのです。

>>動かず

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