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■探訪記(2009.04.11) |
所在地 : 兵庫県姫路市本町68
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国宝であり世界文化遺産でもあり、現存する複雑な縄張りと建物の数々はやはり文句なしで他のお城を凌駕しているといわざるを得ません。やはり、姫路城は誰もが認める「天下の名城」なのだと思います。私自身も何度も姫路城には来ていますが、今回は初の桜の時期の訪問です。
この姫路城の大天守は今秋(平成21年・2009年)より概算事業費28億円、約6年の工期をもって大修理を実施する予定で、大天守を覆う素屋根がかけられます。したがって、姫路城天守閣の本来の姿をしばらく見ることができなくなるのです。ただ、大天守を覆う素屋根内部にはエレベータが設置される予定で、修理工事の様子や天守閣の外観を真近に見ることができるのだそうです。
「平成の大修理」直前の訪問。さらには桜が満開の時期だっただけに多くの人出で賑わっていました。しかし、桜に彩られた姫路城の姿はたいへん美しく、十分満足する訪問となりました。
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大手前通り |
鯱鉾のモニュメント
姫路クリーンライオンズクラブによる |
大手前公園付近
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内濠
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桜門橋越しに天守閣が見える |
内濠と石垣と満開の桜 |
大手門 |
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姫路城へのアクセスはやはりJR姫路駅からまっすぐ北にのびる道が最適だと思います。駅からは姫路城前まで1キロくらいありますが、別段タクシーなどを使うまでもないと思います。段々と大きく見えてくる天守群を見ながら歩くとおのずと期待感が湧きますし、何よりこのお城は相当大きな規模を誇りますから、入口に到着してからもかなり歩くのを覚悟しなければならないからです。
大手前までくると水をたたえた内濠があります。石垣の高さはさほどでもなく堅固な造りに見えないのですが、それは姫路城の中枢に近づくにつれ間違いだったことに気づかされるはずです。また、一部人が渡れるほどに浅くなっている、いわば「沈み橋」があり、守備側が利用したり、いざというときの脱出ルートとなる造りになっているという特徴があります。
この内濠を渡って大手門に至る橋は桜門橋といいます。最近架け替えられたらしく新しい木造橋になっていました。石垣上の城内から枝垂れる満開の桜が非常に美しかったです。
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三の丸広場 |
三の丸広場からの天守群
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大天守
(国宝) |
西小天守
(国宝) |
上山里付近の櫓群
(リの渡櫓) |
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平山城である姫路城は、ちょうど天守群がある本丸付近が山上(といっても「小高い丘」という感じ)にあります。実際は標高45.6mの「姫山」という名前の山なのですが、天守閣の石垣の高さでさえ、約15mもありますから山の頂上にあるといった感じはしません。ただ、ここ三の丸からは見上げる感じで天守群の姿を望むことができるので、眺めは最高です。
現在は広場になっていることもあり、桜に囲まれたお城を望みながらお花見に楽しむ多くの観光客で賑わっていました。
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逆順登城 |
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菱の門は二の丸への入口となります。厳重なつくりのなかに華燈窓があり、どことなく装飾的な要素も含まれている感じがします。大手から登城する際は必ずといっていいほどくぐる重要な位置にある門ですので、このように凝った造りとなっているのでしょう。さらに、この菱の門をくぐった先は三国濠とよばれる方形の濠(というかため池)があります。戦闘時において、侵入者が菱の門を突破しても、正面にこの濠があるせいで、進行が滞ります。さらに、どちらに進めばよいか迷ってしまう効果もあるのです。
現在の登城順路によると、この先左手に折れて西の丸を経由して天守閣へというのが通常なのですが、お花見の時期は混雑を避けるために逆順になっているそうです。すなわち、いの門をくぐり二の丸からぬの門へ、そして上山里とよばれる郭へと向かうルートです。
城内唯一の三層門である「ぬの門」の脇には扇の勾配とよばれる見事な反りをもった石垣が見られます。これは、加藤清正が得意とした石積みの方法で、清正が築城した熊本城では普通にみられる石垣です。また、同じく清正が築いたといわれる名古屋城の天守台石垣も同様の反りが見られます。
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ぬの門をくぐった先は「上山里」という中規模の郭があります。天守方向を見上げると野面積みともいえそうな荒々しい石垣の上に大天守の上層部分を見ることができます。この石垣の上は備前丸という割と大きめの郭があるのです。
さて、この「上山里」の中央に「お菊井」とよばれる井戸が存在します。この「お菊井」は有名な「播州皿屋敷」に出てくるあの「お菊」が投げ込まれた井戸だと伝承されているのです。
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播州皿屋敷 |
室町時代の中頃の事。ただし、お菊の存在も含めて半ば伝承の域を越えませんが、姫路市の十二所神社に伝わる「播州皿屋敷実録」という史料に載っているとの事です。なお、江戸が舞台の「番町皿屋敷」なるお話のほか、兵庫県尼崎市、滋賀県彦根市、長崎県五島市など様々なところで同様のお菊伝説が存在します。
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【播州皿屋敷のお話】
当時の姫路城主小寺則職の家臣青山鉄山は、城の乗っ取りをひそかに計画していました。しかし、それを事前に察知した衣笠元信という人物が、妾だったお菊という女性を鉄山の屋敷に女中として奉公させ、その企みを察知させました。その甲斐あって鉄山の陰謀を阻止することはできたものの、その後、鉄山の家来の町坪弾四朗なる人物がお菊がスパイであることを見抜いてしまったのです。
以前からお菊に好意を寄せていた弾四朗は自分の妾になることを条件にスパイであることを黙っているといいましたが、お菊はこれを拒否。腹いせに家宝の十枚の皿のうち一枚を隠した挙句、皿を失くした責任をお菊になすりつけて最後には責め殺して井戸に投げ込みました。
その後は夜な夜な井戸の底から「一枚・・・二枚・・・」と皿を数えるお菊の声が聞こえたといわれています。
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帯郭・腹切丸 |
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この上山里なる郭をもう一段登った先が、帯郭(おびくるわ)です。なんでも姫路城を人間に例えると、本丸(天守閣)から見て、帯の部分に位置しているからだということです。
ちなみに、この付近に腹切丸というちょっとというかかなり物騒な名を冠した郭があります。ここは階段を下った先にあって、周囲は塀で囲まれてどこにも通じていない一角です。もともとは、この郭の南側にある濠を渡ってくる敵を想定して、上から攻撃するための場所として造られたそうですが、ちょうど中央には井戸もあって、「首洗いの井戸」のような雰囲気もあって、このような物騒な名前でいわれるようになったのだそうです。
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備前丸 |
広めの備前丸 |
備前丸からの天守閣(正面) |
備前丸からの天守閣(ななめ) |
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本丸の一段下の広い郭が「備前丸」という場所です。こんなにも広いのは城主(築城者の池田輝政)の居館があったからです。輝政の二男の忠継が備前の国を与えられたものの、幼少だったため、ここにあった御殿で暮らしていたことから名付けられたといいます。残念ならが、輝政の居館等の建物は明治期に失火してしまったそうです。不幸中の幸いか、天守閣に類焼しなかったことが救いといえるかもしれません。
備前丸から見る天守閣は正面と斜めで大きく姿が変わります。姫路城に初めて来たときから、この備前丸から正面に仰ぐ天守の姿(写真中央)が、どうしても美しく見えないのです。立体感もなく、石垣と建物が連続し、単調な印象を受けるためだと思っているのですが・・・。
ところが、少し角度をつけて再び眺めると(写真右)、やはり天守閣の美しさが確認できるのです。特に、小天守群の壮大な規模は、他のお城の天守閣に匹敵するものと考えてもいいかと思うのですが、それら大天守を囲む三つの小天守をいい角度で最も間近に見ることができるのです。
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天守閣内部 |
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天守閣は外見の美しさと裏腹に、内部は無骨な印象です。姫路城が軍事施設であることを思い出させられる感じがします。珍しく雪隠(トイレ)が公開されていたので中をのぞいてみました。奥には壺が置かれていて、「まさか!」とは思ったものの、やはり興味があり、中をのぞいて撮影。あったのは本来の「モノ」ではなく、だれが入れたか10円硬貨が一枚。安心しました。
天守1階部分などは、壁には武具がかけられるようになっていて、鉄砲や刀、槍などが展示されておりました。これが、軍事施設たる姫路城の本来の姿なのです。
ただ、上に行くことは断念しました。何せ、人が多すぎて人による渋滞がひどすぎます。おそらく、一度上に登ってしまったら、数時間は帰られなさそうな雰囲気でした。
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西の丸 |
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西の丸は広い郭ですが、たくさんの桜が植えられてあって、まさに「圧巻」です。いろんな桜の名所に行ったことがありますが、最も美しかったところのひとつといっていいかもしれません。通常の登城ルートであれば、天守閣に登る前に立ち寄る場所でなのですが、人が圧倒的に多い、この桜の時期は逆順に登城するようで、この西の丸は最後に訪れることになります。
そうすれば、当然、時間や体力の都合で西の丸には立ち寄らずショートカットする人もたくさんいるわけで、さっきまでの人ゴミからは少しだけですが解放されます。しかしながら、姫路城の中でもこの付近の桜が最も美しいのです。もったいない。
なお、西の丸といえば本多忠刻に嫁いだ千姫が住んでいた化粧櫓があることで有名です(写真上段左が化粧櫓)。千姫は、徳川秀忠の長女にあたります。初めは豊臣秀頼に嫁ぎましたが、大坂夏の陣で秀頼が自害した後は、大坂城内から救出され、その後再婚したということです。
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一眼レフデジカメのAEブラケット機能(AEB機能)で西の丸から望む天守閣を撮影
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この美しさ、やばいです!
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2009.04.11訪問
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