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第9話 明石城
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明石城
日本100名城スタンプ設置場所
明石公園サービスセンター受付窓口
明石城の「顔」。巽櫓と坤櫓とそれらを結ぶ長大な塀。これらがすべて見られる場所からの撮影と見られますが、場所の特定には至らず。実際とスタンプのお城と比べれば、塀が短く櫓が大きくしてあるなど、スタンプ用にデフォルメされたことが容易に分かります。
■探訪記(2009.04.11)
 所在地 : 兵庫県明石市明石公園


 明石城は建物のほとんどが破却され残っていません。しかし、南側にそびえる巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)が現存し、国の重要文化財に指定されています。

 この二つの重要文化財の櫓を一望するのに、JR明石駅の北側ホームが良いという噂だったので、実際に撮影してみました。左の写真がそれです。上に見えるのは電線で、どうしても写りこんでしまいました。


明石公園入口

中堀
噴水がきれい

中堀
カメが寄り添って泳いでいる

中堀
白鳥もいます

大洋漁業の創業者
中部幾次郎

明石公園
入口

明石公園
案内板

 明石城へはJRが便利です。JR明石駅のすぐそばで、交通至便なところにあります。JR明石駅の北口に面して当時の中堀があり、そこから明石城に入ることができます。往時は中堀の他にも外堀や内堀がありましたが、現在では埋め立てられています。

 明石城のあるところは大正7年(1918)に明石公園として整備され、市民の憩いの場となっています。また、日本のさくら名所100選にも選ばれているほどの桜の名所としても知られており、私が訪問した時も、多くの花見客で賑わっていました。なお、明石公園の入口では大洋漁業の創業者で明石市ゆかりの人物である中部幾次郎の銅像が出迎えてくれます。

旧三の丸付近

坤櫓
(ひつじさるやぐら)

巽櫓
(たつみやぐら)

武蔵の庭園
御茶屋

 正面入口を明石公園に入った付近は旧三の丸です。往時は、内堀に囲まれた居屋敷郭と呼ばれていたところに城主の御殿があったそうですが、現在はその内堀は完全に埋め立てられています。また、正面には本丸を石垣上にみることができ、長い塀の両端に二つの立派な三階櫓をみることができます。この三階櫓は、本丸の四隅のうち、南東と南西隅に現存する重要文化財の櫓、巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)です。

 今さら説明もいらないとは思いますが、北の方角を「子(ね)」の方角とし、十二支を順に円形に並べたとき、南は「午(うま)」となります。同様に、南東は「辰(たつ)」と「巳(み)」のちょうど間になるので、「辰巳」=「巽(たつみ)」となります。つまり、巽櫓とは南東隅にある櫓ということになるのです。したがって、「未申」=「坤(ひつじさる)」とは南西の方角なので、坤櫓といったら、南西隅にある櫓ということになります。

 このように、明石城本丸の他の二隅にも同様に、艮櫓(うしとらやぐら)と乾櫓(いぬいやぐら)がありましたが、それぞれ明治14年(1881)と明治34年(1901)に解体されてしまいました。

 また、この付近には平成15年(2003)には「武蔵の庭園」が公開されています。これは、明石城主小笠原家に伝わる「清流話」の中に、初代城主小笠原忠政(のちの忠真)の命を受けた宮本武蔵が、明石城内に「樹木屋敷」という城主の遊興所を造ったという記録が残っていることにちなんで造られているものです。なお、宮本武蔵は、明石城下の町割りも行ったといわれています。

登城

登城

左右には立派な石垣

松平直明公遺愛のお茶の水

二の丸へ

高石垣

本丸入口付近

 三の丸だった武蔵の庭園から階段を上ると明石城の往時の姿を垣間見ることができます。東から東の丸、二の丸そして本丸と梯郭式の縄張りで横一列に郭が配置されています。ちなみに、本丸の西側には稲荷郭という小さい郭が設けられています。

 明石城の往時の姿がこの付近を歩くとよみがえるような感じがします。それというのも、三の丸付近からはいまひとつ分かりにくかったのですが、石垣はなかなか立派で、いわゆる高石垣と呼んでいいくらいのものです。さすがは日本100名城に数えられるだけのことはあります。なお、この付近には、明石城の8代城主だった松平直明公が御茶の水として愛用したといわれている湧水があります。

本丸に現存する二つの櫓

巽櫓
(たつみやぐら)

坤櫓
(ひつじさるやぐら)

 本丸から見るふたつの重要文化財の櫓を見比べてみると、それぞれに造りが違うのがよくわかります。同時期に造られたとは信じがたい感じがします。

 写真左は巽櫓で北側に窓が一切ありません。東面にも窓らしきものは確認できませんでした。それに対して、坤櫓の方は四面ともに窓があります。また、破風も形が違います。坤櫓は唐破風があり、さらにその上に千鳥破風があります。このような破風の形は珍しいのではないでしょうか。


巽櫓の旧用材

長塀越しに坤櫓

現在の明石市街の姿(本丸から)

 明石城本丸に残る重要文化財の櫓のうち、巽櫓が中に入られるようになていました。中には、旧用材とおぼしき木組みが残されていました。また、阪神大震災後の復旧工事の際に、(ついでに)復元された長塀は圧巻です。熊本城のそれの方が長いと聞いたことがありますが、この本丸南面の長塀もかなり立派です。現在の明石城の景観を通るのに欠かせないものとなっています。そして、長塀から南側、すなわち旧三の丸方向をのぞくと、JRの高架の向こうに高層ビルが建ち並ぶ、現在の明石市街の姿が見られるのです。

天守台

天守台

天守台上

天守台から坤櫓

 天守台はあるものの、天守は一度も築かれたことはなかったそうです。このように天守台があっても実際に天守が築かれなかった例は、赤穂城などをはじめ、いくつかの事例があります。江戸時代以降は太平の世となって、防御としてのお城に求められるような、天守閣そのものの役割が薄らいだことも一例にあると思います。写真では天守台石垣はさほど高く築かれていませんが、反対側から見ると高い石垣上に位置するようになっているため、実際に築かれていたとしたら、見るものを威圧するなかなか立派な景観になっていたことでしょう。また、天守台には現在は登れるようになっていて、明石氏が一の眺めを楽しむことができるようになっています。

立派な石垣

桜堀

天守台(稲荷郭から)

本丸石垣群

 本丸の北側には桜堀という立派な堀があります。この堀の北側には広大な北の丸がありますが、現在はテニスコートなどの体育施設があります。明石城の北側にはこの北の丸のみとなり、防御の面でこころもとない様な縄張りのように見えます。それだけ、この桜堀の役割も大きかったといえたかもしれません。しかし、この桜堀は通常のお城にあるようなお堀と違って、池のように錯覚してしまいます。

 ここまでくれば一応は明石城を一回りしたことになるので、ここから帰路につくのですが、稲荷郭付近から本丸を眺めるとその石垣の見事さに圧倒されます。天守台も本丸からはこころもとない低さだったのが、ここから眺めるとかなり高い位置にありますし、保存状態も良好です。この付近は、明石公園という明石城の現在の姿の中にあって、数少ない往時を偲ばせる場所といえるでしょう。

2009.04.11訪問

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