最終更新日: 2019-08-08 

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古都奈良の文化財
Historic Monuments of Ancient Nara

登録名称

古都奈良の文化財

Historic Monuments of Ancient Nara

Monuments historiques de l'ancienne Nara

登録 1998年(平成10年)12月5日
登録基準

(2) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。

(3) 現存する、または消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠となるもの。

(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例。

(6) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。

構成遺産(8) 01 東大寺 - 02 興福寺 - 03 春日大社境内* - 04 春日山原始林* - 05 元興寺* - 06 薬師寺 - 07 唐招提寺 - 08 平城宮跡
コメント 8世紀、日本の首都であった平城京の都市の様子を伝える遺産であることなどが評価され、文化遺産として登録されました。
リンク

Historic Monuments of Ancient Nara - UNESCO World Heritage Centre

奈良の世界遺産 - 奈良市観光協会公式ホームページ

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01 東大寺 Todai-ji Temple

「大仏さまで有名な日本を代表するお寺のひとつ」

東大寺金堂(大仏殿) Todai-ji Temple

金堂とはそのお寺の本尊が安置されている場所です。従ってここには「奈良の大仏」がありますので大仏殿とよばれています。大仏造立の詔を発した8世紀の聖武天皇の時代から数えて三代目の大仏殿です。最初の建物は治承4年(1180)に、次に再建された建物は永禄10年(1567)にそれぞれ兵火によって焼失しました。現在の建物は江戸時代の宝永6年(1709)に公慶上人によって再建されました。世界最大の木造建築物として名高いですが、それでも創建時の初代からすると三分の二の大きさに縮小されているとの事です。明治39年(1906)から6年かけて、更に昭和47年(1972)から8年かけてそれぞれ大修理が行なわれました。


 

南大門

南大門はそのお寺の正門であることが普通ですが、東大寺の南大門も例外なく現在も正門として存在します。この門は五間の幅があります。治承4年(1180)の平重衡による兵火のため、東大寺の伽藍が焼失した後、その復興造営のひとつとして建てられました。大勧進の職に就いて復興造営の総指揮を執った俊乗坊重源上人らによって、正治元年(1199)に上棟、数年後に完成しました。国宝。

 

中門

この門は本尊の盧遮那仏(奈良の大仏さん)が安置されている金堂(大仏殿)への正門です。この門をくぐると周りは回廊で囲まれており、東大寺の中枢になっていることが分かります。国指定重要文化財。

 

奈良の大仏

正式には、毘盧遮那仏といいます。華厳宗の本尊です。天平15年(743)に聖武天皇の詔によってつくられました。延べ260万人が動員され、9年後の天平勝宝4年(752)に完成しました。国宝。

 

二月堂

毎年旧暦の2月に修二会が行われることからこの名がつきました。もともとの建物は寛文7年(1667)の修二会中に堂内から出火し、焼失しましたが、その2年後に再建されました。重要文化財。

 

三月堂

天平年間(8世紀)の創建と伝えられている東大寺でも最古の建物です。毎年3月に法華会が行われることから三月堂とか法華堂と呼ばれるようになりましたが、本尊が不空羂索観音観音像であることからもともとは羂索堂とよばれていました。他にも日光・月光菩薩像など天平文化を代表する仏像が安置されています。後方の正堂部分に対し、前方の礼堂部分は正治元年(1199)に重源上人によって増築されており、建築年代が違うため、微妙に外観の色がちがいます。国宝。

 


 

【東大寺】アクセス ・・・ 近鉄奈良駅下車、徒歩

 

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02 興福寺 Kofuku-ji Temple

「藤原氏の氏寺で国宝建築多数の古刹、阿修羅像など仏像も魅力的なものが多い奈良はもとより全国屈指のお寺」

興福寺 Kofuku-ji Temple

興福寺 Kofuku-ji Temple

興福寺は南都七大寺のひとつで法相宗大本山。藤原氏の氏寺として栄えました。多くの国宝・重文の建築物や仏像を有しておりみどころが多いです。


 

東金堂と五重塔

東金堂と五重塔

興福寺を代表する景色です。興福寺は南都七大寺のひとつで法相宗大本山。藤原氏の氏寺として栄えました。多くの国宝・重文の建築物や仏像を有しておりみどころが多いです。南都七大寺は、薬師寺・東大寺・大安寺・元興寺・西大寺・興福寺・法隆寺。

 

東金堂

東金堂

神亀3年(726)聖武天皇が叔母にあたる元正天皇の病気全快を願って造立したのがはじまりです。創建後、戦災など何と6度にもわたる再建を繰り返しましたが、現在の建物は、応永22年(1415)に建てられたものです。

 

五重塔五重塔

国宝。興福寺五重塔は高さ50mあり、国宝建築では東寺の五重塔に次ぐ二番目の高さがあります。地震大国日本で、千数百年前の建物が現存しているのは奇跡です。

 

仏頭仏頭

写真は、奈良なら館にあった複製のもの。この仏頭は、もとは山田寺の本尊、薬師三尊像で、文治3年(1187)に興福寺に移されました。しかし、応永18年(1411)に火災のため焼けてしまい、このように頭部だけが焼け残りました。唐文化の強い影響を受けて成立した白鳳文化を代表する仏像として有名です。

 


 

【興福寺】アクセス ・・・ 近鉄奈良駅下車、徒歩

 

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06 薬師寺 Yakushi-ji Temple

「東西の塔がそびえる古都奈良の古刹」

薬師寺 Yakushi-ji Temple

薬師寺 Yakushi-ji Temple

「南都七大寺」のひとつ、白鳳期創建の薬師寺は法相宗の大本山として有名です。当時(7世紀後半~8世紀)飛鳥時代と違った清新な文化が栄えました。これを白鳳文化といいます。薬師寺は中門をくぐると、東西にひとつずつ同じ形をした塔があります。


 

朱雀門 Suzaku-Mon ( Main Gate of Heijo Castle )

薬師寺 Yakushi-ji Temple

薬師寺にある東西の塔のうち、文化的に価値が高いのは東塔の方です。東塔は、奈良時代(天平2年、730年)より、その姿をとどめ、幾多もの戦乱にも焼失せず現在に残された唯一の建物です。

 

いにしえの

薬師寺東塔 Toto ( East Tower )

6重に見えますが、それは「裳階(もこし)」とよばれる飾り屋根が各階にあるからで、実際は、3重の塔です。(重要)最上階の屋根の上にみえる飾りは「水煙」といいますが、明治時代の美術研究家のフェノロサは、これを見て、「凍れる音楽」といってその芸術的価値の高さをほめたたえたといいます。(これも重要)

 

朝堂院跡 Chodo-In (Ruin of Chodo-In Hall ) 薬師寺西塔 Saito ( West Tower )

塔は、仏舎利をおさめるものとして本尊をまつる金堂と共に、寺においては最も重要な建築物のひとつです。西塔は1528年、兵火にかかって焼失し、ながらく礎石を残すのみでしたが、東塔の綿密な調査や当時の記録を精査し、昭和56年に白鳳時代さながらの高さ36メートルの塔が完成しました。

 

大極殿跡 Daigoku-Den (Ruin of imperial audience hall ) 薬師寺金堂 Kon-do ( Main Hall )

本尊は、薬師如来坐像です。高さ255cm。台座には四神(玄武・白虎・朱雀・青竜)が描かれています。又、左右にはそれぞれ日光菩薩像・月光菩薩像を従えています。薬師寺は、7世紀末、天武天皇が后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って、藤原京に建立したのがはじまりです。718年の平城京遷都によって現在の地に移転しましたが、藤原京の寺は、本薬師寺として奈良県橿原市に現存しています。但し、新たに平城京に新築されたとの説もあります。

 


 

【薬師寺】アクセス ・・・ 近鉄西ノ京駅下車すぐ

 

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07 唐招提寺 Toshodai-ji Temple

光を失いながらも不屈の精神で来日した鑑真建立のお寺

唐招提寺 Toshodai-ji Temple

唐招提寺 Toshodai-ji Temple

鑑真といえば、唐(中国)から遣唐使船に乗ってやってきた僧です。来日した時には、すでに盲目だったとのこと。鑑真は来日後、この唐招提寺を建立しましたが、官立ではないお寺の維持管理は相当大変だったようです。


 

戒壇 Kaidan

戒壇 Kaidan

戒壇とは僧侶になるための授戒の儀式を行なう壇のことです。754年、同じく鑑真和上が東大寺に設けた戒壇としばしば対比されます。

 

講堂 Kodo ( Lecture Hall )講堂 Kodo ( Lecture Hall )

講堂は平城宮からの移築です。現存する平城宮の建築物は、この講堂のみですので、その文化的価値は非常に高いと考えられます。堂内には、本尊の弥勒如来時代)および、持国天・増長天が安置されています。

 

宝蔵 Hozo ( Warehouse ) 宝蔵 Hozo ( Warehouse )

隣の経蔵と同じく校倉造です。経蔵は、同じく校倉造で有名な正倉院宝庫よりもさらに古く、わが国現存最古の校倉です。

 


 

【唐招提寺】アクセス ・・・ 近鉄西ノ京駅下車 700m

 

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08 平城宮跡 Nara Palace Site

Heijo Palace Site

平城宮跡 Heijo-Kyu ( Nara Palace Site )

平城京(710年遷都)は、唐の都長安を模して造営されました。都の中央には南北に貫く朱雀大路があり、その先の平城宮入口には朱雀門と呼ばれる立派な門がありました。


 

朱雀門 Suzaku-Mon ( Main Gate of Heijo Castle )

朱雀門 Suzaku-Mon ( Main Gate of Heijo Castle )

平城京(710年遷都)は、唐の都長安を模して造営されました。都の中央には南北に貫く朱雀大路があり、その先の平城宮入口には朱雀門と呼ばれる立派な門がありました。

 

いにしえの

いにしえの

いにしへの奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
伊勢大輔

「昔の奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で美しく咲きほこっています。」八重桜は平安時代の京都では珍しく、奈良の都、すなわち忘れ去られた古都というイメージがあります。

 

朝堂院跡 Chodo-In (Ruin of Chodo-In Hall ) 朝堂院跡 Chodo-In (Ruin of state hall )

特別史跡
右側は、第一次朝堂院跡になります。朝堂院とは、儀式や集会が行なわれていたところです。奥には大極殿や内裏(天皇の住まい)がありました。遠くに見えるのは朱雀門です。

 

大極殿跡 Daigoku-Den (Ruin of imperial audience hall ) 大極殿跡 Daigoku-Den (Ruin of imperial audience hall )

「ダイコク」の芝とよばれて土壇が残っていたため、明治以降、大極殿跡と考えられていました。大極殿は天皇の即位、正月元旦の朝賀など国家的行事の時に天皇の座が置かれる建物です。追記:大極殿は平成22年(2010)に平城遷都1300年を記年して再建されました。

 


 

【平城宮跡】アクセス ・・・ 近鉄大和西大寺駅北口を出て東、二条町交差点を南へ徒歩約10分

 

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