最終更新日: 2018-12-14 

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古都京都の文化財
Historic Monuments of Ancient Kyoto

登録名称

古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)

Historic Monuments of Ancient Kyoto (Kyoto, Uji and Otsu Cities)

Monuments historiques de l'ancienne Kyoto (villes de Kyoto, Uji et Otsu)

登録 1994年(平成6年)12月17日
登録基準

(2)ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。

(4)人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または、景観の顕著な例。

構成遺産(17) 01 賀茂別雷神社(上賀茂神社) 02 賀茂御祖神社(下鴨神社) 03 教王護国寺(東寺) 04 清水寺 05 延暦寺 06 醍醐寺 07 仁和寺 08 平等院 09 宇治上神社 10 高山寺 11 西芳寺(苔寺) 12 天龍寺 13 鹿苑寺(金閣寺) 14 慈照寺(銀閣寺) 15 龍安寺 16 西本願寺(本願寺) 17 二条城
コメント 794年に桓武天皇によって平安京が造立され、その後江戸時代まで日本の首都だった古都京都は、優れた文化が継承されて現在に至っています。京都の中心部については長い歴史を経る中で、戦乱などによって失われた建造物も多く、主に近世以降の建造物しかありませんが、日本文化を代表する文化財が数多く存在します。隣接する滋賀県大津市、宇治市の社寺も含め、17の社寺が世界遺産リストに登録されました。
リンク

Historic Monuments of Ancient Kyoto (Kyoto, Uji and Otsu Cities) - UNESCO World Heritage Centre

世界遺産(世界文化遺産) 古都京都の文化財 - 京都府

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08 平等院

平等院 Byodo-in Temple

天喜元年(1053)に、藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂です。末法思想の影響を受けて阿弥陀仏にすがる浄土の教えが流行した当時、各地にこのような阿弥陀堂が建立されました。東向きに造られていて朝日を正面にうけるようにしてあります。建物が正面の池に映って、さながら水に浮かんでいるようです。


 

平等院 So-Mon ( Main Zen Temple's Gate )

平等院はもともとは藤原道長の別荘でしたが、永承7年(1052)その子の藤原頼通が寺院に改めて平等院としました。「平等」とは「仏の救済」を意味する言葉です。

 

源頼政の墓

そばの説明版によると、源頼政は平清盛の横暴に反抗し、治承4年(1180)に挙兵しました。しかし、衆寡敵せず敗れて、平等院にて自害したそうです。76歳でした。 辞世の句 「埋もれ木の花咲くこともなかりしにみのなるはてぞ悲しかりける」

 

梵鐘 Sekka-Tei

表面には、唐草や鳳凰など美しい模様がみられます。(

 

鳳凰堂 Kinkaku ( Golden pavilion )

鳳凰堂の中央には定朝作の本尊、国宝の阿弥陀如来像があります。周囲の壁や天井には九品来迎図や極楽浄土図が描かれています。

屋根には鳳凰がみられます。左側が南方像、右側が北方像と呼ばれています。近世以降阿弥陀堂は鳳凰堂とよばれるようになりましたが、それは概観が鳳凰が羽を広げたような形をしていることとともに、このような鳳凰の棟飾りがあることによるものです。

 


【 平等院ライトアップ 2017-12-09 】

 


 

【平等院】アクセス ・・・ JR宇治駅または京阪宇治駅から徒歩

 

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13 鹿苑寺(金閣寺)

kinkaku-ji Temple

金閣寺 Kinkaku-ji ( Kinkaku-ji Temple )

山号は北山。室町幕府第3代将軍足利義満が建てた別荘がはじまりです。とくに、外観を金箔で施した金閣はあまりにも有名。観光日本のシンボルとして外国にも良く知られています。


 

総門 So-Mon ( Main Zen Temple's Gate )|金閣寺

総門 So-Mon ( Main Zen Temple's Gate )

金閣寺の入口に当たる門です。禅寺(金閣寺は臨済宗)の表門は総門といいます。元々、この地は、鎌倉時代に西園寺公経の別荘があったところでしたが、室町時代に三代将軍の足利義満が応永4年(1397)に譲り受けて、山荘北山殿をつくりました。義満の死後、夢窓国師を初代住職として鹿苑寺(義満の法号、鹿苑院殿から)と名づけました。

 

Kinkakuji

陸舟の松

足利義満の盆栽だった松を植えて帆掛け舟の形に仕立てたと伝えられている木です。樹齢は600年以上といわれているそうです。

 

Sekka-tei

夕佳亭 Sekka-Tei

夕日に映える金閣が殊に佳いという意味から「夕佳亭」と名づけられました。江戸時代に茶人、金森宗和が好んだといわれる建物です。数寄屋造で建てられています。数寄屋造とは、茶室風の様式でつくられた邸宅で、装飾を排した簡素さを特徴としています。正面の床柱は「南天の床柱」といい、有名なものです。

 

Golden pavilion金閣 Kinkaku ( Golden pavilion )

日本の象徴。誰もが知っている日本で最も有名な建物のひとつです。三階建てで、一階は寝殿造、二階は武家造、そして三階は唐様(禅宗様)です。三つの建築様式を調和させた珍しい造りをしています。二階・三階には金箔を全面に施していますので金閣といわれていますが、本来は舎利殿といって仏の遺骨を安置する建物です。

 


 

【金閣寺】アクセス ・・・ JR京都駅から市バス「金閣寺前」下車すぐ

 

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14 慈照寺(銀閣寺)

ginkaku-ji Temple

銀閣寺 Ginkaku-ji ( Ginkaku-ji Temple )

山号は東山。室町幕府第8代将軍足利義政が建てました。銀閣をはじめ、書院造で有名な東求堂も国宝に指定されており、見どころも多いです。外観を金箔で施した金閣より、かなり地味ですが、それが現代日本人の生活文化の発端となったといわれる東山文化の特徴です。


 

庭園|銀閣寺

庭園 Teien ( Zen garden )

1万人を超える門弟がいたといわれている臨済宗相国寺派の開祖の夢窓国師は、築庭にも才があったようで、苔寺で有名な西芳寺の庭園などを手がけたといわれていますが、この慈照寺庭園はそれを模倣したものだそうです。庭園としては、池泉回遊式とよばれる分類に属します。

 

向月台|銀閣寺

向月台 Kogetsudai ( Miniature mountain shaped like Mt.Fuji )

この白砂を富士山型に固めた山は向月台(こうげつだい)といいます。これは、手前の銀沙灘とあわせて中国の西湖の風景をなぞらえたもので、大海原とその先に見える山を表しているそうです。このような名がついているのは、白砂が月光を反射して月の夜は美しい景色が見られるようになっています。

 

銀沙灘 Ginshadan|銀閣寺

銀沙灘 Ginshadan ( Zen garden )

「ぎんしゃだん」と読みます。およそ日本庭園らしからぬ庭です。しかし、向月台に映える月の影と美しく調和します。

 

銀閣 Ginkaku ( Silver Pavilion ) 銀閣 Ginkaku ( Silver Pavilion )

東山山荘の仏殿として建てられた2層の楼閣建築です。観音殿と呼ばれていました。下層は書院造で心空殿、上層は禅宗様で潮音閣といいます。上層には、禅宗仏殿風の部屋があり、観音像が安置されています。実際には銀箔は張られませんでしたが、北山鹿苑寺(同じく臨済宗相国寺派)の金閣に対して銀閣と呼ばれています。

 


 

【銀閣寺】アクセス ・・・ JR京都駅から京都市バス「銀閣寺道」または「銀閣寺前」下車

 

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17 二条城

Nijo Castle

二条城 Nijo-jo ( Nijo Castle )

永禄12年(1569)に旧二条城の築城が開始されたという記録がありますが、本格的に城郭が整えられたのは慶長8年(1603)のことです。築城したのは徳川家康で、京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として築かれました。


 

東大手門|二条城

東大手門 Higashi Otemon ( East Main Gate )

両端の石垣の上から渡り廊下を設け、その下を門とした櫓門形式の建物です。本瓦葺入母屋造り。現在の二条城のメインゲートとなっています。この門の外側右手に券売機があり、そこで入城料600円(大人)を支払って入ります。閉館は午後5時と割と早めです。国指定重要文化財。

 

唐門|二条城

唐門 Kara Mon ( Chinese Gate )

切妻造、檜皮葺の四脚門で門の上には唐破風があります。この門をくぐったところに、国宝の二の丸御殿があります。

 

二の丸御殿|二条城

二の丸御殿 Ninomaru Goten ( Ninomaru residence )

単に「二の丸御殿」といっても、その建物は大変大きく、建物面積3300平方メートル、部屋数33、800畳敷きという立派なものです。写真は、入口にあたる「車寄せ」とよばれている部分で、奥には、「遠侍(とおさむらい)」、「式台」、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」、「白書院」の6棟が連なっています。内部は狩野派の人たちによる豪華絢爛は襖絵などで飾られており、桃山文化の粋をうかがえます。内部の廊下は有名な「うぐいす張り」になっており、歩くと「キュッキュッ」と音がします。

 

二の丸庭園|二条城

二の丸庭園 Ninomaru Teien ( Ninomaru Garden )

洛中洛外図屏風などの記録や作風から、慶長7年(1602)ころ、二条城の築城当初からこの庭園が存在したものと考えられています。その後、寛永3年(1626)の御水尾天皇行幸のために一部改修されました。三つの島と四つの橋を設けた池を中心とした庭で、この二の丸庭園はまたの名を「八陣の庭」と呼んでいます。国指定特別名勝。

 

ソテツの養生|二条城

ソテツの養生 Sotetsu ( Cycad )

8代将軍の吉宗の時代に蘇鉄(ソテツ)が15本植えられました。蘇鉄は寒さに弱い南方系の植物なので、毎年11月末から12月初めに「こも」や「わら」を巻いて冬備えをします。二の丸庭園の冬の風物詩となっています。

 

天守台|二条城

天守台 Tenshu Dai ( Table of donjon )

内堀にかかる西橋の上からの天守台の眺めです。天守閣が現存していたらさぞ立派な眺めだったことと思います。打ち込みハギ積みで、熊本城や名古屋城と同じく、反りが見られます。ここに立っていた天守閣は伏見城の天守閣を移築したものといわれています。

 

本丸御殿|二条城

本丸御殿 Honmaru Goten ( Honmaru residence )

天明8年(1788)に焼失してしまいましたが、幕末に十五代将軍、徳川慶喜の居館として再建されました。しかし、これも明治14年(1881)に解体、撤去されました。現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治27年(1894)に移築したものです。国指定重要文化財。平時は公開されていません。

本丸御殿は、京都御所内にあった桂宮の旧邸です。そこには、当時、公武合体の政略結婚で14代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女和宮が住んでいました。

 


 

【二条城】アクセス ・・・ JR京都駅から京都市バス「二条城前」・地下鉄東西線「二条城前」

 

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