
【松原宿】の入口付近。 |
【松原宿】(まつばらしゅく)
長崎街道25宿の一つ。長崎から数えて日見宿・矢上宿・永昌宿・大村宿の次の宿場町。大村から2里、彼杵へ2里の距離にあった。大村藩の『郷村記』によると、江戸時代後期には71軒の宿があったとの事である。大村宿、彼杵宿とともに大きな宿場町の間に位置していたため、宿としても規模はそれほど大きくなく、休憩所といったところであった。 |
 |
旧松屋旅館
松原宿に古くからあった旅館。現在は営業しておらず、見学のため中が見られるようになっています。
中を見学しました。 |
|

一階部分 |

二階へは急な階段を登ります |
|

一階の入口付近にて撮影 |

記者の方の取材を受けている様子。
翌日の長崎新聞に掲載されました。 |
|

最後の見学場所、【松原鎌】生産現場へ |
|
 |
初めに説明を受けてから
工場の見学になります。 |
【松原鎌】(まつばらがま)
文明6年(1474)、平家一族の並衡行泰(なみのひらゆきやす)がの子孫が松原に住みつき、八幡神社の境内で刀鍛冶をはじめた。江戸時代になって、社会が安定すると刀鍛冶から鎌鍛冶へと生産の主力がうつった。松原鎌の起源は、農民の要望にこたえ、月形の鎌をつくったことからとされている。 |
今回お世話になった田中鎌工業さんのHP
松原手打刃物「男の包丁」 |
 |
 |
|

工場の見学 |
 |
|
 |
 |
|

ゴール
今回も無事歩き通した記念。
道をふさいで全員集合の記念撮影です。 |
生徒たちの感想文です。
感想文を読む |
|
旅日記
「松原鎌については、つくり方やつくっているところを見ることができてとても勉強になりました。」
「松屋旅館は中に入ってみると天井が低く、部屋も多かったです。階段は急になっていて上がる時は怖かったです。」
「鎌ができるまでは長い手間がかかるのだということをしりました。工場はとても暑くハンマーでたたく音が耳に響きました。」 |