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【本経寺】を見学します。
左の写真は本経寺の入口です。
本経寺は、大村藩、大村家の墓所があります。 |
【本経寺】(ほんきょうじ)
慶長13年(1608)、大村善前によって建立された。キリシタン大名であった先代の大村純忠の時代に破却された多くの寺社仏閣の復興第一号として建立されました。
(生徒のレポート)
古町1丁目にある白壁の造りの寺が本経寺である。本教寺は大村藩主、大村善前の創建である。境内には大村家の一族の墓がある。 |
本経寺の住職さんに話を伺いました。今回、大変お世話になりました。 |
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いよいよ【大村家墓所】を見学します。
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【大村家墓所】(おおむらけぼしょ)
「大村藩主大村家墓所」として国指定史跡となった。大村では初。良い状態で残っている大名の菩提寺と墓所であるとともに、この墓所がキリスト教から仏教へと改宗していく宗教政策の転換を示した史跡であると評価された。
事実、巨大な墓石がみられるが、これは大村家が仏教を信仰しているというアピールのためと考えられている。キリシタン大名であった大村家は幕府に対してより明確に仏教の信仰を証明しなければならないという特殊な事情があった。
<生徒のレポート>
大村家墓碑群は78基の墓碑がある。中には6mをこえる六角塔などがある。 |

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ひとつひとつ説明を受けながらの見学です
いろいろな形のお墓がありました
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←大村家28代【大村純昌】のお墓 |
【大村純昌】(おおむらすみよし)
天明6年正月25日大村に生まれ、天保9年10月5日大村にて没す。 |

20代目、二代藩主
【大村純頼】のお墓 |

【クルス燈籠】 |
【大村純頼】(おおむらすみより)
大村家20代当主、二代藩主。初代藩主大村善前公のあとを次いで当主になったが、6年後、28歳で死亡。キリシタン弾圧により、宣教師に恨みを買って毒殺されたとの説もある。 |
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【クルス燈籠】(くるすとうろう)
クルス(十字架)といかにもキリシタンと関係がありそうな名前がついているが、「郡崩れ」というキリシタン弾圧事件の直後に造られたことからも、十字架をかたどったとは言い難い。 |
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22代目、4代藩主
【大村純長】のお墓 |
【大村純長】(おおむらすみなが)
22代当主、4代目藩主。純長在位の時に「郡崩れ」が起きた。高さは6mあり、頂上部には、写真でも分かるように、石を接いだ跡が見られる。当時の石工技術としては目を見張るものという。 |
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【小佐々市右ヱ門】
22代、大村純信の傳役。純信が江戸で33歳の若さで急逝した際、追腹して殉死した。市右ヱ門の荼毘(だび)の際、愛犬が、後を追ってその火に飛び込んで死んだといわれているが、彼の家族が事の次第を記録して隣に供養塔を立てた。 |
【小佐々市右ヱ門(左)とその愛犬(右)】のお墓 |

次は堂内の見学です。 |
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【うぐいす張り】の廊下なども
ありました。 |
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【うぐいす張り】(うぐいすばり)
歩くとうぐいすが鳴くような音を出すように板を張った廊下。忍者除けのためにこのような仕組みがなされている。実際歩くと分かるが、音を立てないようにと、ゆっくりと歩こうとすればするほど逆に大きな音が出る。 |
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本日のおさらい
本堂の中で、改めて大村家墓所および本経寺について
話を聞きました。 |
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← お話を聞きながら資料を読み返します。
内部の格子天井には金箔を押した跡が残っています。一人ひとり中を見学させてもらいました。 |
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分かった事はすかさずメモ →
内部の格子天井には金箔を押した跡が残っています。一人ひとり中を見学させてもらいました。 |
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本経寺を出て大村市内を歩きます。
大村市内に残るキリシタン迫害の歴史、
特に郡崩れゆかりの地を訪ねて歩きます。 |

郡崩れを訪ねて
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旅日記
「本経寺が国の指定史跡になると聞いて、身近な場所にこういうものができてちょっぴり嬉しい気持ちになりました。
「本経寺の中ではうぐいす張りの廊下や奥の大切な部屋など普段では見られないようなところも見学できて良かったです。」
「本経寺のうぐいす張りがとてもおもしろかったです。めったに経験できるものではないし、実際踏むと音が聞こえて、うぐいすの鳴き声も知らないのに「おお!うぐいすだぁ」などと思いました。」
「本経寺のあの自分の身長より2倍、3倍もあろうかと思われる墓石はすごかったです。お墓にも色々な意味や工夫がこめられていたり、色々な形があって面白かったです。」 |