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2 大村市内

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 大村市役所前を通って、長崎街道に入ります。
 大村市内は残念ながら、長崎街道も近代的な道に変わっており、昔の面影を探りながらの旅になります。

長崎街道が通っていたところは商店街アーケードになっています。



長崎街道【大村宿】
現在は中央商店街になっています。
アーケード内を旧街道は通っています。
【大村宿】(おおむらしゅく)
長崎街道25宿のひとつで、永昌宿より3里、松原宿まで2里の距離。大村藩の城下町として栄えた。町の長さは約536mほどで671軒の家数があった。大村宿には本陣、脇本陣、番所、駅場、高札場、使者屋敷、船改番所があった。


長崎街道、平成ロマンの旅
現在地を示す大村宿が赤く示されています。
今回は大村から松原までを歩きます。


【本陣跡】

【脇本陣跡】
【本陣跡・脇本陣跡】
 (ほんじんあと・わきほんじんあと)
 本陣とは大名や幕府の役人が泊まる特別な宿泊施設。重なった場合、家柄や石高などによって、低い方は脇本陣に宿泊していた。従って、脇本陣とは本陣の予備的な役割を果たしていたと考えられる。
 大村宿の本陣は捕鯨で財を成した深澤儀太夫の寄進でつくられた。建坪は200坪ほどあったとのことである。

<生徒のレポート>
 本陣とは江戸時代に各宿駅にあった最高級の旅館で、大名・公卿・幕府の役人などが宿泊しました。他に、脇本陣があり、二人の大名が宿泊した場合、格式上位の大名が本陣に泊まるならわしでした。


← 大村の中心地。中央商店街アー
  ケードを歩きます。それにして
  も人どおりがすくない!?

本経寺にて

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旅日記
「大村にも多くの史跡や碑があったのだなと思いました。大村に住んでいる僕でも全然知らなかったのでとても勉強になりました。」
「本陣跡は昔の風景とはぜんぜんちがったけど、昔ここに大名が泊まっていたのだからすごいなあと感じました。」
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