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286-7ドッグハウスからの眺め
【グラバー園】眼下には長崎港、対岸の三菱重工長崎造船所の立神地区、さらに稲佐山がみえます。右手が湾奥、左手が湾口になります。
(長崎県長崎市)
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286-8旧ウォーカー住宅
【グラバー園】ロバート・ウォーカー・ジュニアの旧邸です。彼の父、ロバート・N・ウォーカー氏の兄、ウィルソンは明治元年(1868)に来日し、グラバー商会の船長を努めていました。その後、トーマス・グラバーとともにジャパン・ブルワリ・カンパニー(キリンビールの前身)を設立しました。この建物は、ロバート・ウォーカー・ジュニアの妻、シゲコ・メーベルが母屋の一部を長崎市に寄付し、昭和49年(1974)にグラバー園に移築されたものです。
(長崎県長崎市)
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287-1旧オルト住宅
【グラバー園】イギリス人ウィリアム・オルト(1840~1905)が長崎在住の4年間(元治元年(1864)~明治元年(1868))の間住んでいた家です。イギリス人の設計で、施工は日本人の小山秀之進といわれています。小山秀之進といえば、大浦天主堂をはじめ、長崎に残る多くの教会を設計・施工した大工の棟梁として有名です。その後は、創立期の活水学園校舎として使用され、さらにリンガーの長男の邸宅となっていました。国指定重要文化財、木及び石造、平屋建、正面車寄せ有り、桟瓦葺、噴水一基。
(長崎県長崎市)
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287-2旧オルト住宅噴水
【グラバー園】玄関の車寄せ正面に噴水があります。写真には写っていませんが、切妻屋根になっています。
(長崎県長崎市)
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287-3旧リンガー住宅
【グラバー園】イギリス人、フレデリック・リンガー(1840~1908)が明治時代に住んでいた洋館です。中国広東茶の熟練検査官だったリンガーは元治元年(1864)頃から長崎入りして明治元年(1868)11月、グラバー商会を退社してイギリス人、ホームと共同で大浦12番地に「ホーム・リンガー商会」を設立し、貿易をはじめ、さまざまな事業を展開しました。
(長崎県長崎市)
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287-4旧リンガー住宅居間
【グラバー園】高級そうな調度品とともに、奥の棚の上にはリンガーが洗面器として使用していたといわれている有田焼の大鉢があります。ほかにも当時のオルガンや大理石でできた舶来置時計がありました。
(長崎県長崎市)
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287-5リンガー住宅古写真
【グラバー園】説明板にあった古写真です。大正時代(5年~9年)頃に撮影されたものだそうです。向かって右端がホーム・リンガー商会、左端が米国領事館、中央が英国領事館です。
(長崎県長崎市)
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287-6旧スチイル記念学校
【グラバー園】明治20年(1887)の完成です。アメリカのダッチ・レフォームド教会外国伝道局長スチイル博士が、18歳で亡くなった息子、ヘンリーを記念するために寄贈した資金で開設された学校「スチイル・メモリアル・アカデミー」として建設されました。その後、私立東山学院の校舎となり、いくつかの変遷を経て、私立海星学園の校舎となっていた昭和47年(1972)に長崎市が寄贈を受け、現在地に移築したものが現存しています。1Fには倉場富三郎が地元の画家を雇って完成させたという「グラバー漁譜」が展示されています。
(長崎県長崎市)
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287-7スチイル記念学校古写真
【グラバー園】向かって右斜め上が旧スチイル・メモリアル・アカデミーとの事。昭和3~4年の撮影。
(長崎県長崎市)
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287-8ハートストーン
【グラバー園】園内に2つあるハートストーンとよばれるハート形の畳石。ひとつはグラバー住宅前にあり、もう一つは少し離れたレストハウスの近くにあります。見つければ幸せになれる、恋がかなうといわれているそうです。
(長崎県長崎市)
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【坂本龍馬誕生地】
288-1坂本龍馬写真
【坂本龍馬誕生地】坂本龍馬の写真はいくつかありますが、その中のひとつです。写真の枠は丸くて船の舵をイメージしているように思えます。
(高知県高知市)
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288-2坂本龍馬誕生地の碑
【坂本龍馬誕生地】明治百年記念に建立。大通りに面していて、当時の面影は全く感じませんが、ここが龍馬の生家があったところだということです。碑文「坂本龍馬先生誕生地」は当時の内閣総理大臣、吉田茂の書によるものです。
(高知県高知市)
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288-3誕生地前ベンチ
【坂本龍馬誕生地】坂本龍馬誕生地前にあるバス停のベンチ。二つあって、龍馬愛用の鉄砲と坂本家の家紋が描かれています。
(高知県高知市)
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288-4旧水通町
【坂本龍馬誕生地】江戸時代のはじめからこのように道の中央に用水路が通されていたので、このような町名が付けられました。当時、この町の紺屋が共同して造ったものです。坂本龍馬の誕生地がある周辺にあり、近くには「龍馬の生まれた町記念館」もあります。
(高知県高知市)
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288-5オナガドリ
【坂本龍馬誕生地】明暦年間(1655~1657)ころ、土佐の武市利右衛門という人物が飼育していたニワトリから突然変異で生まれたと伝わっています。国の特別天然記念物で、高知を代表する鳥です。坂本龍馬誕生地付近をはじめ、高知観光の道しるべとして街角で見られます。
(高知県高知市)
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【平城宮跡2】
289-1平城宮跡
【平城宮跡2】和銅3年(710)に飛鳥に近い藤原京からこの地に遷都され、以降は日本の政治の中心地として栄えていました。延暦3年(784)に桓武天皇が長岡京に遷都して以降、平城宮も次第に土に埋もれていったということです。写真は復元された朱雀門です。
(奈良県奈良市)
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289-2朱雀門扁額
【平城宮跡2】朱雀門は平城宮の正門にあたり、南側の中央にあります。風水思想によると、四つの方位にそれぞれに玄武、白虎、朱雀、青龍という神がおり、宮城を守護していると考えられていました。そのうち、南の守護神が朱雀であることから朱雀門との名前が付いています。この門から南に、平城京の正門である羅城門までずっと朱雀大路というメインストリートがありました。
(奈良県奈良市)
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289-3歌碑1
【平城宮跡2】「あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり」 万葉集に収録されている小野老(おののおゆ)の和歌です。「寧楽」を「奈良」と読んでいるところが目をひきます。奈良の平城京の美しさを伝える歌です。
(奈良県奈良市)
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289-4歌碑2
【平城宮跡2】「いにしえの ならのみやこの やえざくら きょうここのえに においぬるかな」 百人一首にも収録されている和歌です。作者は伊勢大輔(いせのたいふ※女性です!)八重桜は奈良に多い桜で、九重とは京九重つまり京都の平安京のこと。「きょう」は京と今日を掛けた言葉だと思います。「いにしえ」とは古い昔ということですから、古き良き平城京をしのぶ歌ということだと思います。
(奈良県奈良市)
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289-5朱雀門想像図
【平城宮跡2】朱雀門は第一次朝堂院の南方、平城宮南面中央に位置しています。東西約25m、南北約10mの大きさで、基壇上に立ち、屋根は二重で入母屋造です。門前の広場は元日のお祝いなど儀式の場としても用いられていました。
(奈良県奈良市)
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