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242-2天后堂2
【唐人屋敷跡】航海の神「天后聖母」をまつる天后堂は、観音堂や土神堂と同じく長崎市の史跡に指定されています。関帝(関羽)もまつっているので別名を「関帝堂」ともいいます。
(長崎県長崎市)
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242-3四隅モニュメント(南西)
【唐人屋敷跡】天后堂の裏手付近にあります。ほぼ長方形をしていた唐人屋敷は、現在はありませんが、このように当時の位置を示すモニュメントが存在します。この南西隅付近は、今でも堀(空堀)があります。
(長崎県長崎市)
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242-4唐人屋敷堀跡
【唐人屋敷跡】唐人屋敷の南側に位置していた堀跡です。このように、往時の唐人屋敷は周囲に塀と堀がめぐらされてあり、外側には竹垣が配置されるなど、厳重に囲まれてありました。正面の小さな橋は森伊橋といいます。
(長崎県長崎市)
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242-5唐人屋敷堀跡(森伊橋)
【唐人屋敷跡】森伊橋は明治時代になって、唐人屋敷の堀に架けられた小さな石橋です。このように、生活道として現役で活躍しています。名称の由来は、先に紹介した森橋と同様、寄贈者の森伊三次氏によるものです。左に唐人屋敷の南西隅だった場所を示すモニュメントがあります。
(長崎県長崎市)
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242-6堀跡を示すグリーンベルト
【唐人屋敷跡】唐人屋敷の南側に現存する空堀は途中で途切れています。しかし、このように当時の堀の位置を示す緑色の帯が道路上にあります。写真左側が唐人屋敷です。
(長崎県長崎市)
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243-1観音堂入口
【唐人屋敷跡】観世音菩薩と関帝(関羽)がまつられています。現在の建物は、大正6年(1917)に改築されたものですが、入口のアーチは元文2年(1737)創建時のものということです。
(長崎県長崎市)
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243-2観音堂
【唐人屋敷跡】瓢箪池の奥の石に「元文二年・・・」の刻字があったことから、その年に創建されたと思われるとのことです。天明4年(1784)の大火で焼失し、その3年後に再建されました。現在の建物は、大正6年(1917)中国の商人、鄭永超によって改築されたものです。
(長崎県長崎市)
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【国宝建築8】
243-3四隅モニュメント(南東)
【唐人屋敷跡】唐人屋敷は地形的に東側が高くなっており、ちょうど長方形の板を東に高く、西に低くしたような感じになっています。この東側隅の南から北にかけては高台になっており、素晴らしい眺望が広がります。
(長崎県長崎市)
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243-4復元された塀
【唐人屋敷跡】南東隅モニュメントの脇に、このように往時の唐人屋敷を囲んでいた塀を復元したものがあります。塀を越えて中に入れば、厳しく罰せられていたそうです。
(長崎県長崎市)
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243-5四隅モニュメント(北東)
【唐人屋敷跡】唐人屋敷の北東隅を示すモニュメントです。唐人屋敷の入口は北西側にありました。
(長崎県長崎市)
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244-1唐人屋敷景(過去)
【唐人屋敷跡】案内板の写真を撮影しました。明治初期の写真です。左手に二本竿みたいなものが立っていますが、そこが土神堂です。その脇、写真中央に見える橋が梅香崎橋です。写真右手奥の海岸部には、出島や新地が見えます。
(長崎県長崎市)
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244-2唐人屋敷景(現在)
【唐人屋敷跡】左の写真の現在の様子(2008)をほぼ同じ角度から撮影しています。人口が増加するにしたがって、狭い平地だけではなく、周辺の斜面まで市街地化が進んでいることがわかります。正面の山は稲佐山(高さ333m)です。山の形だけは昔も今も変わりません。
(長崎県長崎市)
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【唐人屋敷跡】
244-3海星学園
【唐人屋敷跡】この付近から南西方向の丘の上には、ひときわ目立つ洋風の建物が見えます。白壁に青の屋根をしたこの建物は、長崎海星中学校・高等学校の校舎です。
(長崎県長崎市)
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244-4活水学院
【唐人屋敷跡】活水女子大学東山手キャンパス。
(長崎県長崎市)
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245-1春節の賑わい(福建会館)
【唐人屋敷跡】福建会館は明治30年(1897)の建立。しかし、会館本館(会議所)は原爆により倒壊しました。現存する天后堂、正門は市指定文化財です。春節(旧正月)の時期はこのように飾り付けられ、多くの人で賑わいます。
(長崎県長崎市)
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245-2福建会館正門
【唐人屋敷跡】三間三戸の薬医門形式で、中国風の要素も若干含まれているものの、組物の形式や軒反りの様子、絵様の細部など、主要部分は和様のつくりとなっています。
(長崎県長崎市)
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245-3福建会館孫文像
【唐人屋敷跡】この像は、正式には「孫中山銅像」といい、辛亥革命90周年を迎えた平成13年(2001)11月、日中友好のシンボルとして上海市から寄贈され、福建会館内に建立されたものです。孫文は、明治30年(1897)に初めて長崎を訪れてからは何度も、足を運び、生涯のうちで9回も長崎を訪れているそうです。
(長崎県長崎市)
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245-4福建会館天后堂
【唐人屋敷跡】外壁煉瓦造りの天后堂です。正門が和様なのに対し、こちらの建物は中国風となっています。ただし、一部は和様(日本風)の様式がみられるそうです。
(長崎県長崎市)
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245-5福建会館天后堂内部
【唐人屋敷跡】本尊として祭られているのは「媽祖様」とよばれ、中国福建省で宋の時代にはじまった民間信仰で航海の守り神として信仰されていました。実在した人物がモデルとなっているということです。
(長崎県長崎市)
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245-6福建会館裏手
【唐人屋敷跡】福建会館の裏手にある公園はシーズンになると藤の花が美しいとの事です。この福建会館自体は、明治期に入って建立されましたが、唐人屋敷があった時代は、この位置には聖人堂という建物があったということです。
(長崎県長崎市)
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