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  • 【醍醐寺】

    203-1醍醐の桜1

    【醍醐寺】慶長3年3月15日(1598.04.20)に豊臣秀吉が1300人規模の大花見大会を開きました。いわゆる「醍醐の花見」です。このように、現在でも桜の名所として知られ、多くの観光客で賑わいます。

    (京都府京都市伏見区)

  • 203-2醍醐の桜2

    【醍醐寺】醍醐寺の総門です。醍醐寺は山上の上醍醐と麓の下醍醐からなります。下醍醐から山上までは、急な山道を徒歩で1時間。真言宗醍醐派総本山。世界文化遺産(古都京都の文化財)。

    (京都府京都市伏見区)

  • 203-3醍醐の桜3

    【醍醐寺】総門から仁王門にいたるまっすぐな道は「桜の馬場」とよばれ、満開の時期は桜のトンネルができます。その時期の休日ともなると人出の方もかなりで、この道もゆっくりとしかすすめません。

    (京都府京都市伏見区)

  • 203-4醍醐の桜4

    【醍醐寺】写真は仁王門で醍醐寺(下醍醐)の入口にあたります。秀吉が「醍醐の花見」の時に陣取った跡地は、上醍醐とよばれる山上の伽藍に続く山道の途中にあります。

    (京都府京都市伏見区)

  • 203-5醍醐の桜5

    【醍醐寺】醍醐の花見は、秀吉の最晩年に催され、秀吉自身もこの約半年後に没します。さらに何と、呑気にも朝鮮出兵中に行われています。多くの諸大名が異国で戦っている最中のことです。

    (京都府京都市伏見区)

  • 204-1総門

    【醍醐寺】醍醐寺の入口です。この門をくぐると、桜の馬場とよばれる参道があります。桜の時期は参道の両端に満開の桜が咲き、桜のトンネルをつくります。その左手には庭園が見事な三宝院があります。

    (京都府京都市伏見区)

  • 204-2霊宝館(宝聚院)

    【醍醐寺】春と秋しか開館していません。醍醐寺収蔵の国宝や重要文化財などを展示しています。入れ替えが随時行われており、何度行っても新しいものがみられるようです。本館と平成館に分かれており、敷地面積は34.229平方メートルとのことです。

    (京都府京都市伏見区)

  • 204-3仁王門

    【醍醐寺】総門をくぐり、桜の馬場とよばれる長い参道のつきあたりにあります。西大門ともよばれ、下醍醐の伽藍入口になっています。慶長10年(1605)の建立です。京都府指定建造物。左右には、国指定重要文化財の金剛力士像が控えています。

    (京都府京都市伏見区)

  • 204-4仁王門金剛力士像(阿形)

    【醍醐寺】仁王門の向かって右側。口を開けている方が「阿形」の金剛力士像です。長承3年(1134)の建立。国指定重要文化財。

    (京都府京都市伏見区)

  • 204-5仁王門金剛力士像(吽形)

    【醍醐寺】仁王門の向かって左側。口を閉じている方が「吽形」の金剛力士像です。長承3年(1134)の建立。国指定重要文化財。

    (京都府京都市伏見区)

  • 204-6金堂

    【醍醐寺】慶長5年(1600)に豊臣秀吉の子、秀頼によって仁王門とともに紀州(和歌山県)の湯浅満願寺から移築されました。本尊の薬師如来像とともに、日光、月光菩薩像、四天王像が安置されています。国宝。

    (京都府京都市伏見区)

  • 204-7五重塔

    【醍醐寺】国宝の五重塔は唯一創建時から残されている建物です。醍醐天皇の冥福を祈るため、朱雀天皇によって建立されました。平安時代の天暦6年(952)の創建です。応仁の乱などの度重なる兵火にも耐え、現在に至っています。現在は多くの伽藍がある醍醐寺ですが、この五重塔のみしかなかった時期もあったそうです。本尊は、平安時代作の国宝、両界曼荼羅です。

    (京都府京都市伏見区)

  • 205-1清瀧宮本殿

    【醍醐寺】醍醐寺の総鎮守清瀧権現をまつっています。永長2年(1097)に上醍醐より分身を移し、まつったといわれています。現在の建物は永正14年(1517)の再建です。三間社流造り。国指定重要文化財。

    (京都府京都市伏見区)

  • 205-2不動堂

    【醍醐寺】堂内には、不動明王を中心に5体の明王が安置されています。建物の正面には石造りの不動明王像があります。

    (京都府京都市伏見区)

  • 205-3祖師堂

    【醍醐寺】真言宗の開祖、弘法大師とその孫弟子で醍醐寺を創建した理源大師の座像が安置されています。弘法大師の誕生日である6月15日には、降誕会が行われています。

    (京都府京都市伏見区)

  • 205-4真如三昧耶堂

    【醍醐寺】もとは法華三昧堂として天暦3年(949)に創建されましたが、文明2年(1470)に焼失しました。その後は、長くなにも建てられていませんでしたが、平成9年(1997)に真如三昧堂として建てられました。本尊は金剛界大日如来。涅槃像も安置されています。

    (京都府京都市伏見区)

  • 205-5伝法院大講堂

    【醍醐寺】昭和5年(1930)に醍醐天皇の一千年御遠忌を記念してつくられました。大講堂を中心に広がる大林泉、弁天堂、鐘楼、地蔵堂、日月門、阿闍梨寮、伝法学院を総称して大伝法院といいます。

    (京都府京都市伏見区)

  • 205-6法林泉と弁天堂

    【醍醐寺】林泉は昭和5年(1930)に醍醐天皇の一千年御遠忌を記念してつくられました。弁天堂も同時に建立されています。桜で有名な醍醐寺にあって、このあたりは紅葉がきれいで、時期になるとおおくの観光客が訪れます。

    (京都府京都市伏見区)

  • 205-7女人堂

    【醍醐寺】上醍醐への登山道(参道)の入口にあたります。上醍醐が女人禁制だった時代には、女性はここまでしか行くことができませんでした。したがって、女性にとって、上醍醐の遥拝所の役割を果たしていました。ということで、山上の准胝観音の分身が祀られてもいます。

    (京都府京都市伏見区)

  • 【小倉城】

    206-1小倉城

    【小倉城】小倉城は、福岡県北九州市にあるお城です。細川忠興が築城しました。細川氏が肥後の熊本城に転封になると、代わりに譜代大名の小笠原氏が入城し、明治維新を迎えました。野面積みの石垣の上には、昭和34年(1959)に復興された大小の天守が立っています。

    (福岡県北九州市小倉北区)

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