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  • 第29番 松本城
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    100名城スタンプ設置場所;松本城管理事務所

    朱塗りの美しい橋、埋橋を含んだ美しいアングル。若宮八幡跡付近から天守を狙った図柄と考えられる。

☆☆☆ 国宝天守群が見応え抜群、多くの謎がある興味深いお城

第69話 松本城

< 68話 福岡城 | 70話 千早城>

 

信濃の松本平にそびえる松本城の天守群はいわゆる「現存十二天守」のひとつである。

さらに、全国でも5つしかない国宝の天守である。ごく最近のことであるが、今まで現存最古の天守といわれてきた丸岡城天守(福井県)の建築年代に修正が入るかもしれないとのことで、代わりにこの松本城が現存最古の天守となるかもしれないという説が出てきている。

創建は16世紀の初めの永正年間、信濃の守護だった小笠原氏によるとのことであるが、信濃はあの武田と上杉が戦国時代に覇権を求めて争った激戦地のひとつであったということもあり、度々戦乱がおこり、城主も交代している。 現在のような城郭を整えたのは、元々は徳川家康の家臣で、当時は豊臣秀吉に仕えていた石川数正である。こちらも最近の説では次の石川康正の時代に天守が完成したのではないかともいわれている。

 

案内板にあった鳥瞰図を見ると、往時の松本城は松本市内を直角に流れる女鳥羽川を外堀に組み入れたいわゆる総構えのような縄張りをしていたことがわかる。 とはいえ、さすがに往時の面影を偲ばせる縄張りや建造物はさほど残っておらず、現存天守を囲む本丸とその周囲にめぐる内堀程度しか見どころがなくなってきている。ただ、その分天守の威容が筆舌尽くしがたい圧巻ぶりなので、わざわざ訪問する価値は十分にある。なお、お城の東には総構えの名残である惣堀の一部が残されている。

 

太鼓門枡形

 

太鼓門枡形の構造 

江戸末期の太鼓門の姿 

まずは本丸以外の遺構等を見る。 過去数回の訪問はみな、お城の北方、徒歩圏内にある明治時代の学校建築である開智学校を見た後だったため、北側からアクセスしていた。しかし、旧三の丸だった市役所のある東側から入城した。ここは、内堀お城の北側でつながっている外堀が唯一みられるのである。そして、その先に平成13年に再建された太鼓門枡形がある。

太鼓門枡形は、松本城の中で天守群につぐ見どころといってよいだろう。 外堀上に鵜首とよばれるアクセスルートがある。そして太鼓門枡形の二の門へ到。なお、枡形は一の門と二の門に挟まれた区域を指すが、城内から一の門、二の門と数えるため注意を要したい。

 

太鼓門二の門(高麗門形式) 

太鼓門一の門(櫓門形式) 

二の門は高麗門形式である。そしてその先が枡形である。入って右手には太鼓楼があったようであるがこちらは建物自体がない。 枡形の出口は一の門で櫓門形式の立派な門である。この高麗門と櫓門の組み合わせはどうやら枡形ではもっともオーソドックスのようだ。全国のお城でよく見られる。

 

玄番石 

一の門の脇にひときわ目をひく巨石があるがこの石を「玄番石」という。櫓門の築造者にちなんだ名前らしく、重さが22.5トンもあるそうだ。

 

二の丸

 

二の丸御殿跡 

櫓門をくぐった先が二の丸である。 現在では広い空間に建物の遺構があったことが示されている。この建物は二の丸御殿だったとのこと。 本丸へは黒門経由が今も昔も一般的である。しかし、内堀の外側をぐるりとさらに西側まで歩くと、朱塗りの橋がある。

 

 

この橋は、埋橋といい、日本100名城スタンプは若宮八幡跡付近から埋橋と天守をとらえたデザインとなっている。しかし、この橋は進入禁止となっている。

内堀にはコイが元気に泳ぐ

 

内堀越しに天守群をみるのもいい。

内堀の幅はなかなかの広さ。火縄銃の射程距離を考慮して、それよりひろくとってあると聞いたことがある。

 

黒門枡形をこえるといよいよ本丸である。

 

本丸

一旦、本丸北側にまわると広い芝生の広場があるが、その付近が天守群の全体像が把握しやすい。さらに詳細な解説付きである。

しかし、天守は本丸の南西隅に位置しているので、昼間から午後の時間帯は逆光となり写真撮影にはいささか不向きである。松本城訪問の際は、少しこのことを頭に入れておくと良いだろう。

ちなみに、この付近に「駒つなぎの桜」というものがあるが、あの加藤清正公ゆかりの桜ということである。

天守群

外観でも見どころの多い天守群。様々な角度で姿形を変えるのが面白いし、見ていて飽きない。全体は黒いため「烏城」なる別名でも知られているが、よく見ると各層の上部には白漆喰で塗られた白い部分がある。これは、同じ漆黒の城である熊本城天守や岡山城天守にも見られない特徴的なものである。それ以外の部分は窓が少なく、極めて実用的な作りとなっている。外壁は「下見板」で覆われており、「下見板張り」という。

以下、いくつか大天守最上階からの写真を紹介するが、そのうち北側には旧開智学校が確認できる。多くの山々の美しさは、信州にそびえる大天守ならではであろう。

 


 

月見櫓

また、付属する建物で一つだけ趣の違う建物が付属している。赤い漆塗りの高欄(刎高欄)が特徴的な月見櫓である。この建物は純粋に軍事目的ではなく、寛永年間に藩主だった松平直政が増築した建物である。この部分は、天守群全体に対するアクセントとなっているように思う。

 

( 2012年(平成24年)8月 1日 訪問 )

 

データDeta /アクセスAccess

所在地 Address 〒390-0873 松本市丸の内4番1号(松本城管理事務所)
交通

JR篠ノ井線「松本駅」下車 徒歩約15分

公式サイト 国宝 松本城 - 松本城をより楽しむ公式ホームページ
別名

深志城、烏城

城郭構造 梯郭式平城(三の丸より外側は輪郭式にみえる)
天守

連結式望楼型(1593年頃か1615年築)

複合連結式層塔型5重6階(1633年改)

築城主 小笠原貞朝、石川数正・康長
築城年 永正元年(1504)
主な改修者 松平直政
主な城主 小笠原氏、石川氏、松平氏、堀田氏、水野氏、松平氏(戸田氏)
文化財指定等 日本100名城(29番)
国指定史跡
[ 国宝 ]
天守 他
松本城|国宝建築

 

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