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  • 第23番 小田原城
  • 日本100名城スタンプ設置場所 天守閣1F

    スタンプはおそらく馬屋曲輪から銅門と天守閣を撮影したものですが、馬屋曲輪には立ち入ることができなかったため、最も近いアングルで撮影。

☆☆ 「小田原評定」で有名な秀吉の小田原攻め

第45話 小田原城

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関東の戦国大名、北条氏の居城。全長9kmにもおよぶ総構えの巨大なお城だったということなので、現在みられるのはそのほんの一部分ということになる。何という規模のでかさであろうか。現在の天守閣は昭和35年(1960)に復元されたもの。城の規模に比べて天守が普通に感じるのは自分だけだろうか・・・

 

東京から新幹線ではなく在来線の東海道本線で小田原へ。横浜から湘南を経て箱根のふもとまで。途中は相模湾の景色を楽しめるところもあり、なかなかいい。こういった旅をのんびりとしてみたいものである。

小田原は戦国~安土桃山時代にかけて関東地方一帯を治めた北条氏(後北条氏・小田原北条氏)の居城があったところ。この北条氏の始祖は伊勢新九郎、のちの北条早雲。「戦国時代の梟雄」とあだ名されるのは、かれが下剋上を果たして戦国大名になった典型だからであろう。二条河原の落書にある「下克上する成出者」とはまさに彼にふさわしい形容である。


JR小田原駅にはその北条早雲の像があり、これから小田原城に向かう自分を迎えてくれた。

 

[ 入口付近 ]

江戸時代末期の小田原城

現代の小田原城

馬屋曲輪、御茶壺曲輪、二の丸など多くの曲輪が良い状態で現存しているのがわかる。それでも往時の規模には到底及ばない。

 

[ 馬出門土橋(めがね橋) ] [ 堀(遠くに学橋) ]

[ 二の丸隅櫓 ] [ 馬出門 ]

[ 馬出門枡形 ] [ 二の丸観光案内所 ]

西口を出て駅の南側にある小田原城へ。正面入口よりいよいよ入城。・・・といってもここまで歩いてきたところは元々三の丸があったところ。現在では市街地の一部になっているが、「三の丸小学校」という学校があることなどからも小田原城の城域だったことがわかる。小田原城は街全体を城郭に組み入れたいわゆる「惣構え」となっているのである。

正面入り口から入ったところは馬屋曲輪とよばれるところになる。ただ、自分が訪れた時は、一部通行できるもののその大部分はなぜか立ち入りができなくなっていた。

 

[ 銅門 ]

明治5年(1872)の解体前の古写真と並べて撮影

この馬屋曲輪から本丸方面を見たときに確認できるのが銅門(あかがねもん)。本丸へはこの銅門をくぐっていくことになる。

手前の橋は住吉堀にかかる住吉橋。その先に銅門があり、ここが二の丸の正門に位置する。小田原城の主要な門のひとつといえる。一の門と二の門がありその間はいわゆる枡形になっていることからも、堅固なつくりとし、防衛上重要な門と位置付けていたことがわかる。

「一の門」と「二の門」

一の門は内仕切門で、その先に内枡形がある構造。二の門は典型的な櫓門形式。 枡形にはよく見られる形式である。ちなみに左折れ枡形は防御する側が敵に矢を射かける時に正面を向くことになるので、右折れよりも振りに働くことがあると聞いたことがある。

 

「二の門にある銅板の装飾」

その名の由来となった銅板の装飾が見られる。現在の門は平成9年(1997)に復元されたもので、用材にはマツとヒノキが使われている。

 

[ 二の丸 ]

二の丸にある歴史見聞館に展示

このテのジオラマをつぶさに鑑賞するのが好き。きっとそういう人他にもいると思う。

銅門をくぐった先が二の丸。本丸に直結する重要な位置にあり、かなりの広さがある。

一角には歴史見聞館があり、小田原城の模型を見ることができる。それを見ると、ここ二の丸には御殿が建てられていたことがわかる。

ここまでくれば本丸ももうすぐ。本丸のある一角は小高い丘のような地形の上に立っていて、まさに小田原城の中枢にふさわしい場所にある。きっと遠くから見通せたのだろう。

 

ここから本丸は小高い丘の上に登っていくような感じになる。現在は残っていないが、往時の様子がわかるように整備された東堀がある。その跡に跡にかかっている常盤木橋を渡って、階段を上っていくといよいよ本丸に到達である。

本丸の入口にあたる門がこの常盤木門。銅門と同様に内枡形になっていて、堅固なつくりとなっている。攻め手側はこの常盤木門とその枡形を突破してやっと本丸に至ることができた。難攻不落の城塞は、その細部まで徹底して防衛に腐心していたことがうかがえる。

こういったところに気がつくのは果たしてお城を訪問する観光客のいかばかりが気づいているだろうか。お城の訪問はやはりそのあたりの事情に通じる人と行くことをお勧めする。

 

[ 本丸・天守 ]

〜 虎口の遺構 〜

このように整備されているが、旧態は維持しているとのこと。すなわち、当時から地面と壁は全面に石が葺かれているつくりになっていたのだ。また、他のお城のような枡形にはなっておらず、コの字型にルートがなっているのが特徴的。

 

常盤木門から登ってきた本丸の最奥、西側に天守閣がある。昭和35年(1960)に復興されたもの。総工費8000万円、鉄筋コンクリート造本瓦葺き。高さは石垣下から38.70mある。

 

天守からの眺めはなかなかのもの。秀吉が小田原攻めの際に築いたとされる石垣山一夜城をはじめ、箱根の山々、そして相模湾が見え、遥か遠くには三浦半島も見つけることができる。

遠くまで望めるのはやはり冬だからであろうか。

 

こうして、私の小田原攻めは完結。宿が東京だったので、今度は東海道本線の上りで東京へ。途中、横浜の中華街で夕食。氷川丸の見学もでき、充実した一日となった。

 

( 2010年(平成22年)12月3日 )

 

 

データDeta /アクセスAccess

所在地 Address 神奈川県小田原市城内6番1号
交通

JR小田原駅から徒歩10分

リンク 小田原市 | 小田原城
別名 小峯城(小峰城)、小早川城(小早川館)
城郭構造 平山城
天守 複合式層塔型3重4階(1633年 築)
(1706年 再)
(1960年 RC造復興)
築城主 大森頼春
築城年 応永24年(1417)
主な改修者 上杉氏、北条早雲、大久保忠世、稲葉正勝
主な城主 後北条氏、阿部氏、稲葉氏
大久保氏
文化財指定等 日本100名城(23番)
国指定史跡

 

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