☆☆☆ 伊達政宗が築いた名城。天守はなくとも名城としての風格充分。
第66話 仙台城
仙台城(伊達政宗騎馬像)
青葉城ともいう東北地方の覇者、伊達政宗の居城である。さすがといってよいお城でその規模もかなりのもの。また、広瀬川が作り出した独特の地形を巧みに縄張りに組み入れたかなり興味深いつくりになっている。
2008年の7月に一度訪問したが、それ以来の仙台城への登城。以前の通り、大手門から登ろうとしたが、タクシーの案内によると、今回は車両通行止めとなっていて、迂回ルートにて護国神社駐車場から本丸へアクセスする。もちろん、東日本大震災の影響である。この時点で震災から約一年が経過していたが、未だその傷跡は癒えず、建物や石垣の崩壊などが多く見られた。
[ いきなり本丸 ]
護国神社駐車場からのアクセス。「がんばろう仙台・宮城 伊達魂!!」と横断幕が張ってあった。
仙台城鳥瞰図
護国神社方面からのアクセスはちょうど、当時は埋門付近からということになる。この鳥瞰図から分かるように南側(鳥瞰図では左)は広瀬川の支流である竜ノ口渓谷が天然の深い堀のような役目を果たし、西側(鳥瞰図では上)には青葉山がそびえている。天然の要害といえるであろう。大手門や市街地に開けている側は断崖絶壁となっており、こちらも堅牢である。
5つの櫓や御殿、能舞台、御懸造なるがけに突き出して作られた建物など、多くの建物群があったが、実は政宗のころには城の中枢だったものの、二代藩主、伊達忠宗のころにはふもとに二の丸が造営され、お城の中心もそちらに移ってしまっている。
興味深いのはその断崖にせり出すように京都清水寺の本堂のような舞台造の建物があったことだ。鳥瞰図では「懸造り」とあるが、城下を見下ろすには絶好の位置にあり、眺望もさすがのものだっただろう。よく見ると、御殿と棟続きとなっており、歴代の藩主の憩いの場または接待の場であったと予想がつく。
青葉城資料展示館の向かいには仙台や東京に店舗展開をしている「伊達の牛たん」のお店があった。せっかくなので食することに。牛タンはもちろん今や全国で食べられるポピュラーなものであるが、なにより仙台(それも仙台城の本丸で)で牛タンを食べることに意味があるように思う。
団子はずんだとゴマ
本丸からの市街地の眺めは良好
広瀬側沿いに東北地方の中枢都市、仙台の市街地が見える。町並みは違えど、伊達政宗も見た景色。
その政宗の騎馬像。 仙台城にとどまらず、仙台市の象徴である。
独眼竜という異名を持つ政宗は、東北地方の雄として小田原攻めの直前まで秀吉と対峙した大名である。石高は62万石なので、加賀の前田家、薩摩の島津につぐ全国3番目の大藩である。これは尾張や紀伊などの御三家をしのぐ規模であり、徳川幕府もその存在感を無視できなかったであろう。
立派な鳥居があるこの付近が詰の門があった場所である。大手門に匹敵するほどの規模を持った門だったようで、本丸の正門といって良いであろう。
この高石垣は北に面しているので、この時期はまだ若干雪が残っている。 時には道路からわき道にそれながら、下りが続いている。
[ 麓にある二之丸・三之丸へ ]
この絵図は仙台城の全貌がよくわかる。青葉山の麓、広瀬川を隔てて城下町に面するところに二之丸と三之丸があった。
ここから徒歩で通行止めとなっている登城路を下っていくことにする。以前はその逆から歩いて上ってきたのでそのときのおさらいも兼ねている。拡幅舗装され、自動車も往来可能となったこのルートは、それでも曲がりくねっており、場所によっては、石垣を縫うように続いている。往時の面影を探るには申し分ない。 ところどころにある崩落した石垣とその応急的な処置を施した姿が痛々しい。
二の丸へと下っていく道のほぼ中間点、中門跡の石垣も崩落防止のための処置がなされており、近づくことすらままならなかった。
[下ってきて、大手門とその脇櫓 ]
100名城スタンプのデザインにも採用されている仙台城の「顔」の一つであるが、こちらも損傷が激しく、当然立ち入りは禁止。通行止めとなったため、使用休止となった仙台城址入口交差点の信号は黒いシートがかぶせられていた。
[ ニ之丸・三之丸 ]
城下からこの大手門を正面に見ると、くぐった先に二の丸跡がある。ここは現在東北大学のキャンパスの一部になっている。
ちなみにこの付近に支倉常長像がある。 支倉常長といえば、 実は日本人としては唯一正真正銘のローマ貴族。慶長遣欧使節。すごい人である。
この辺りの石垣も東日本大震災による損傷も激しい。外壁も一部崩れている。
仙台国際センターが、そして道を挟んでその向かい側には三の丸があった。当時の面影をしのぶのは難しいが、この三の丸には現在、仙台市博物館があり、仙台に関する多くのことが学べる施設となっている。この三の丸を囲むように現在でも長沼や五色沼なるため池があるが、これは当時の堀に当たるものだろう。ちなみに、そのうちの一つ、五色沼は「日本フィギュアスケート発祥地」を記念するオブジェがある。
長沼の東は片倉小十郎の屋敷があったところだと伝わる。片倉小十郎は藩祖政宗のころからの家老格の家柄である片倉家当主。代々小十郎を名乗ったという。他にも仙台市博物館とその周りには仙台ゆかりの人物の銅像や、胸像が見られる。愛知揆一、魯迅、歴史上有名な人物と仙台との意外な関係がわかって興味深い。
[ 大橋 ]
当時から仙台城と城下を隔てる橋だった大橋をわたれば仙台城からふたたび市街地へと戻ってこられる。広瀬川は単純に城と城下町を隔てる役割を果たしていただけでなく、防御の役割も果たしていたことだろう。複雑な地形の上に作られた仙台城の縄張りは、きっと幕府隠密もその全貌を明らかにするのは困難だったことであろう。天守はなくとも、全国屈指の「名城」であることは間違いない。
( 2012年(平成24年)3月30日 訪問 )
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 〒980-0862 宮城県仙台市青葉区天守台青葉城址(青葉城本丸会館) |
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交通 | 地下鉄東西線「国際センター駅」より徒歩15分 地下鉄東西線「八木山動物公園駅」より宮教大・青葉台行のバス(バスプール3番乗り場発)で5~6分 るーぷる仙台 仙台駅から約20分 仙台駅前「西口バスプール16番のりば」から乗車・仙台城跡で下車 |
リンク | 青葉城 本丸会館 http://www.honmarukaikan.com/ |
別名 | 青葉城、五城楼 |
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城郭構造 | 連郭式平山城 |
天守 | なし |
築城主 | 伊達政宗 |
築城年 | 慶長6年(1601) |
主な改修者 | 伊達忠宗 |
主な城主 | 伊達氏 |
文化財指定等 | 日本100名城(8番) 国指定史跡「仙台城跡」 |