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■探訪記(2009.03.28) |
所在地 : 石川県金沢市丸の内
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かつて一向一揆の拠点となった金沢御堂の跡地に、先ず佐久間盛政ついで前田利家が入りました。城壁は火災に備えてなまこ壁が施してあり、屋根はいざという時の鉄砲玉にするため、鉛を使用しています。そのため、屋根が白っぽく見えるのが分かります。
金沢城へは、あの大河ドラマ「利家とまつ」でが放送された2002年の8月に初めて訪問して以来、何度か訪れています。なまこ壁や飾りに見える石落とし、白っぽい鉛ぶきの屋根で造られている城壁は、どこのお城にもない、非常に美しい外観をしていると思います。2005年には12月に訪問し、雪の金沢城を見ることができました。隣接する兼六園では、あの有名な「雪吊り」を見ることもできました。 |
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石川門 |
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兼六園から橋を渡るとみえる堂々とした門が、この石川門です。往時は搦手門(裏門)だったということですが、兼六園に隣接している分、金沢城へはこの石川門から三の丸広場へと行くのが定番となっているようです。河北門、橋爪門と並んで金沢城の「三御門」に挙げられていた重要な門です。一方で、宝暦の大火(1759)の後、天明8年(1788)に再建されて以来、現在まで現存している建物で、国の重要文化財に指定されています。
さて、この石川門をくぐった先の桝形付近の石垣は、写真の通り左右で積み方が違っています。向かって左が打ち込みハギ、右が切り込みハギで積まれています。同じ場所で積み方が違う珍しい例ですが、文化年間に書かれた文書には「左右違い分けて積むのはおかしい」と書かれてあるそうです。
なお、石川門をくぐった先にある石川門入口案内所で「日本100名城スタンプ」を押すことができます。スタンプのデザインは三の丸から二の丸へと続く橋爪門とその続櫓です。
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三の丸広場 |
三の丸広場からの二の丸城壁(左から橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓) |
三の丸広場とはその名の通り、かなり広い芝生広場があります。ここからさらに金沢城の中枢部へゆくには、写真向って左の三の丸堀に架かる橋爪橋を渡ってから橋爪門をくぐっていくことになります。金沢城のさらに中枢には本丸と二の丸があります。
本丸は前田利家によって天守閣が築かれてはいたものの、慶長火災(1602)で焼失した後は再建されず、代わって三階建ての櫓や本丸御殿が建てられていましたが、宝暦の大火(1759)の時に焼失しました。その後は実質的な中枢部としての機能は二の丸へと移行していきました。
ただ、残念ながらここまででタイムアップ。今回は二の丸までは行くことができずに帰ることになりました。
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2009.03.28訪問
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