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第6話 丸岡城
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丸岡城天守
日本100名城スタンプ設置場所
一筆啓上茶屋
スタンプは日本最古の現存天守である丸岡城の天守閣を斜めから撮影したものがデザインとなっています。
■探訪記(2009.03.29)
 所在地 : 福井県坂井市丸岡町霞町1丁目59


昔の丸岡城の概要
 天正4年(1576)の建築となる天守閣は全国に現存する12棟のうちでも最古となります。柴田勝家の甥で養子の柴田勝豊が築城しました。屋根瓦には笏谷石を用いています。

 丸岡城は福井市街より北へ約30キロ、旧坂井郡とよばれた地域にあります。石川県(加賀国)との県境にも近いところです。付近一帯は、広大な福井平野にあって、丸岡城はその中にある小さな丘の上に建っています。丘陵地に本丸が建っていることからも一応は平山城と呼んでいいかもしれませんが、本当に小さな丘といっていいところなので、防御の面ではいかほどのものだったのかは疑問です。しかし、ここには五角形の広い内堀にかつては囲まれていたそうで、広い所ではその堀の幅は91mにも及んだそうです。

 案内板にもその様子が描かれてありましたが、出入り口は大手門と不明門の二か所のみ、二の丸と本丸をすっぽりと包む広大なものだったことが分かります。ただ、それらの堀も明治以降徐々に埋め立てられ、田畑になっていきました。

天守閣

天守閣入口

笏谷石製の石垣

天守台石垣は野面積み

福井地震で倒壊した鯱鉾

階段下に紐が伸びる

八割を旧材を使用して復興された
 天守閣は非常に特異な感じを受けます。いや、むしろ美しい姿で見る人を魅了するのが天守閣といっていいかと思うのですが、丸岡城の天守閣は素朴で力強さがあります。美しい姿とはあまり形容できない姿です。このことが、ある意味において、丸岡城の天守閣を特徴づけているのだと思います。

 外観は二層に見え、一階部分に望楼を乗せた姿、いわゆる望楼型天守の典型です。これは、江戸時代初期(慶長年間)の天守閣にはあまり見られないもので、むしろ戦国時代から安土桃山時代によく見られた建築様式です。現在、江戸時代からの現存天守閣は、全国に12棟ありますが、そのような理由からもそれらの天守の中でも最古と考えられています。ただ、犬山城の方が古いという説もあります。また、当時でも珍しい掘立柱で築かれているのも特徴的です。ただ、こちらは記録によると、昭和の修理の際に礎石を用いた造りに改められています。

 屋根瓦には笏谷石を用いています。笏谷石とはこの地域の墓石などにも用いられている石で、一乗谷付近でとれます。雨にぬれると青味が一層深くなるという特徴があって、美しい色合いをしています。石葺きの屋根瓦は全国でも珍しいでしょう。鯱鉾は木製の銅板張りで造られていたそうですが、昭和15年(1940)からはじまった修復工事の際に、屋根瓦と同じ笏谷石製に改められました。現在、その鯱鉾は天守閣入口に飾られていますが破損しています。これは、昭和23年(1948)6月28日の福井大地震によって倒壊したためです。

 この時の福井大地震はすさまじかったらしく、天守閣も倒壊してしまいました。しかし、昭和26年から復興修理工事がはじまり、4年の歳月をかけて江戸時代以来の姿をふたたび取り戻しました。地震で倒壊した翌年には、早速倒壊残材が保存工事を受け、それら旧材をなるべく用いることによって復興工事がなされたこともあり、現存といってよいことになっているのだと思います。

 天守閣へは、石垣から延びる階段から入るのですが、中は梯子のような急な階段を登っていくことになります。現在では手すりなどがついていたり、階上から紐がぶら下がっていて、それらにつかまりながら登ることができます。ただ、もちろん当時はそんなものもなかったでしょうから、登るのには難儀したということが容易に想像できます。


一筆啓上

一筆啓上茶屋

一筆啓上の碑

 丸岡城のある一帯は公園となっており、駐車場のところには「一筆啓上茶屋」なる大きめの売店や食堂、土産品を売っている建物があります。そこで、「日本100名城スタンプ」も押すことができます。

 しかし、「一筆啓上」とは不思議な名前です。

 関ヶ原の戦いののち、丸岡城主となった本多成重は、徳川家康に仕え、あの三方ヶ原の戦いでは武田信玄に大敗した徳川家康の窮地を救うなど、多くの戦功をあげた「鬼作左」こと本多作左衛門重次の嫡男です。この本多作左衛門は、長篠の戦いの時に、陣中から「一筆啓上」で始まる手紙を妻に送ったことでもよく知られています。

一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ

 ここに書かれてあるお仙(仙千代)こそが、さきに述べた丸岡城主本多成重のことです。天守閣付近にはこの言葉を記した碑が建っており、丸岡城の中でも最も気になるところのひとつです。

 本多作左衛門が送った「一筆啓上」の手紙は現在にも思わぬ形で受け継がれています。財団法人丸岡町文化振興事業団が主催して、平成5年から毎年「一筆啓上賞」なるコンテストが行われており、平成14年までで83万通の応募があったそうです。その後は、「新一筆啓上賞」と改められ続いています。

財団法人丸岡町文化振興事業団

2009.03.29訪問

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